不完全なものを完全にすることは、できません。
これは、こうも言い換えられます。
それは、

偽りを、本当にすることはできない。
あるいは、そもそも存在しない”もの”を、存在するようにはできない。

ということです。

しかしながら、この世界の中では、誰もかれもが、これをやり続けている、ということです。
このバカバカしいことこの上ないことを、ずーーーーーっと、何千年何万年とやり続けている、ということです。

もちろん、私もそうでした。
目覚めが起きた後ですら、このことにまったく気づけませんでした

このことが見えたのは、私である存在が現れた後のことです。
それまで、私は、ずーーーーーーーーっと、不完全なものを完全にしようと試みていたのです。
存在しないものを、実在にしようと必死に試みていたのです。
まったくもって、愚かでした。

では、ここでいう、不完全なもの、というのはなんでしょうか?
私がずっとやり続けていたことは、何だったのでしょうか?

その答え、不完全なものとは、つまり、自分だと思っている自分、のことです。
間違ったエゴ、個人、個人的行為者、体だと思っている自分こそ、不完全なものなわけです。

私がやり続けていたのは、自分だと思っている自分、間違ったエゴ、個人を完璧にしようとしていたわけです。
間違ったエゴを神聖な存在、神にしようとしていたわけです。
笑えますねw
けれども、誰もかれもが、実際は、これを試み続けて生きているわけです。

面白いのは、この道中、そのことを私に指摘してくれた人は、一人もいなかった、ということです。

「あなたは絶対達成不可能なことをやっている。間違ったエゴが神聖な存在には決してなれない。なぜなら、あなたはすでに神聖な存在であり、すでに完成されているからだ。存在していないもの、存在できないものを存在させようとあなたはやっきになり続けているだけにすぎない。すでにそうなっているわけだから、達成、実現しようとしているという想いがすでに間違っている。」

なんてことを、概念ではなく直接教えてくれた人は、誰一人、いませんでした。
では、なぜ誰一人、現れなかったのか。
それは、別の機会にするとして、この世界がずーーーーーっと、今でさえやり続けているのは、これです。

疑いなく、あなたもまた、これをやり続けて来たはずで、今もなお、やり続けようとしているのです。
そして、今後も、これをやろうとするはずです。

なぜなら、これが巧妙なのは、往々にして、いつ、どのようにして、それを始めているのか、まったく自分で自覚できないからです。
まさしく、いつの間にか、それをやってしまっている、ということなのです。

ただ、目覚めが起こり、さらにプロセスが進んでいくと、「いつの間にか、それをやってしまっている」ということに気づきはじめます。

それまでは、まったく自覚できません。
今、イライラしていたり、無性にムカつくのであれば、それはつまり、そういうことを意味しています。

なぜなら、ひとたび、これを認めてしまえば、自分が何者だと思っているのかを、暗に認めてしまうことになるからです。

しかしながら、目覚めが起こると、神に心を開くことが起こるわけですから、イラつきやムカつきよりも、理解のほうが先にたってきます。「あぁ、そういうことだよな、うんうん、そういうことだよな」という静かな理解に包まれるようになるわけです。

とはいえ。とはいえ、だからといって、この無自覚な、神への、実在への攻撃が止むわけではありません。
そういうわけで、いつの間にかに取り込まれている自分自身に対しての途方もない虚しさや悲しみ、時には怒りさえもわきおこってしまうでしょう。
この経験を素通りさせる良い処方箋があればいいのですが、あいにく、私もそれは持ち合わせてはおりません。

ただ、経験してきた限りわかることは、目覚めが起こり、沢山のプロセスを通過していくと、気づくのが早くなる、ということです。
間違ったエゴのたくらみに、いち早く気づけるようになるのです。
時には、誘いが来た時点で、気づくことさえあります。

しかしながら、繰り返しますが、誘いが来なくなる、ということはないんです。
それは、分水嶺を完全に超えなければ、終わることはないのでしょう。
それがシンボルとして描かれているゴラムであり、夢邪鬼であり、カオナシなのです。
彼らは、最後の最後までつきまとってきました。
そうではないですか?

分水嶺を超える、ということが意味しているのは、この世界を永遠に夢見なくなる、ということです。
体が決して、あなたに現れなくなった時。
この世界のすべてを忘れ去ってしまうこと。それが分水嶺です。

それまでは、どうにかして、個人を神にしようとすること、存在しないものを実在しているものにさせようとする誘惑がやってき続けることでしょう。
それは、本当に巧みです。
弱さに付け込んでくるわけです。

新しい次元、新しい宇宙、新しいエネルギー、錬金術、アセンション等など
こういったとびきり魅力的なパワーワードを使って、あなたを誘い込むことになります。

しかしながら、あなたが本当にこの世界に飽きてしまったのなら…
この世界が、本当は何なのかを見て、そこに(罪に)一ミリの価値もおかなくなった時。

一瞬にして、つまり、何の苦労も努力もなく、あなたはこの世界を忘れ、踵を返して、本当の状態に戻るはずです。
逆に言えば、なぜそれが起こらないのかといえば、未だ、あなたが罪に魅力を感じているからにほかなりません。

あなたが歩んでいること、このサイトのこの文章を読んで、とりわけ、ムカつきややり込めてやりたい、という怒りや憎しみの気持ちよりも、なぜか心に刺さってしまう、心の奥深くに入ってくるのであれば、それは、あなたが途方もなく進化し、ついにこのプロセスを進み始めた、ということを意味しているのです。
あなたが、受け入れようと受け入れまいとに関わらず。

では、今回は、この辺で。

レベル:ユニティクラス