このタイトル、ちょっと表現が微妙ですねw

”最も”、ていうぐらいだから一つでいいような気がするんですが、やっぱりですね。
この道は、超絶困難な道ですので、仕方ないです。難しいことは、確かに腐るほどあります(ある気がするだけなんですが)

とはいえ、実は、最も難しいことの多くは、すべて同じことの言い回し、ということでもあるので、そういった意味では、最も難しいこと、という風にタイトルを変えてもいいかとは思うのですが、ともかく、進めてみましょうw

さて。

自由に至るプロセスの中で、私たちにとって最も難しいことの一つ、それは、

”何かを成し遂げることが必要なのではなく、何も成し遂げる必要がないことに気づく”

ということになります。

この道に入ると、あらゆるテーマがあちこちに掲げられているのではないでしょうか?

あれをやれ、これをやれ。
この瞑想だ、あの瞑想だ、これを手放せ、あれを手放せ、この呼吸法だ、あの呼吸法だ、あのヨガだ、このヨガだ、あのテクニックだ、このテクニックだ…、もう信じられないほど膨大なテーマがあります。
たしかに、たしかにこういったことを追求するのは、楽しいですwww

まさしく、人生の醍醐味、といっていいでしょう。これらを突き詰めるのは、面白く、充実した人生になることもある”でしょう”。

けれども、目覚めが起こり、さらに目覚めが洗練され、もっと高い意識レベルになると、ある事が決定的にわかります。
それは、そういったすべては、しょせん、夢の中でのことにすぎない。
それは、ただ夢をさらに強い夢にしているに過ぎない、ということに気づきます。

ですので、これに気づくと、何かに打ち込んでいる自分というのが、滑稽で仕方なくなります。
もし打ち込む対象、テーマがあったとしても、もう所詮、それは夢を夢らしくさせているに過ぎないことが見えるので、そうやっている自分すら、離れて観るようになります。仕方なく、それを起こらせ続けざるを得ない、という心境になります。

こういうレベルになっていると、ある瞬間、あることが起こるはずです。
それは、なぜか突然として、超猛烈に、”自由になりたい” という想いに駆られるのです。

それは、自分で自分にたきつけることではありません。
もしそうするなら、それはまたしても、夢を夢らしくさせようとする間違ったエゴの策略なのです。

この想い、まさしく内なる炎のようなものが燃え上がるわけですが、そうはいっても、この世界の中に、直接、自由を与えてくれる”もの”、”方法”など、一切ありません。一切です。
この世界は、基本、いかにあなたを閉じ込めることができるか?によって、成り立っているのですから。

ですので、まさしく苦しくて転げまわるような日々を送ることになります。

そして、いつの日か、このことに気づくことになるのです。

「自由は、決して自分の手でつかみ取ることなんてできやしない。自由を成し遂げることは、絶対にできない。私が成し遂げるべきものなんて、一つもないんだ。このことが完膚なきまでに分かったとき、私は自由になるだろう」

わかっていても、あまりに苦しくて、自分で自由を探してしまう羽目になるわけですが、やはり、自由は起こることであって、起こすことではないのです。もちろん、何に関しても同じことですが。

では、なぜ何も成し遂げる必要がないのでしょうか?
そういったことを、一つ一つ、概念ではなく、直接知ることによって、気づいていくわけです。

確かに、そういったプロセスを見ると、直接知ることも成し遂げる必要がある、という風になるわけです。
あれもやらなければ、これもやらなければいけない。

間違ったエゴですから、そういう風に思うわけですが、実際は、直接知ることにせよ、自分でそれをできるわけではありません。それは、間違いなく、単に起こるのです。

では、私たちには、一体何が求められているのでしょうか?
もちろん、何も。

求められる、ということは、暗にする必要があること、成し遂げる必要があることを示唆しています。
実際は、何も求められていない、わけです。

では、なんでこんなに苦しいんでしょうか?
なんでこんなひどい世界を歩んでいかなければいけないのでしょうか?

その答えは、それも全く求められておらず、従って、それは起こっていない、ということなのです。

ですから、起こっていないのに、完全に起こって見え、感じることのできるこの世界とは、一体何なのでしょうか?
どこにそんな世界があるのでしょうか?

そう。
それは、ちゃんとメガネが答えてくれていますねwww

さらに、なぜ先述した なぜ成し遂げる必要がないのか?
といえば、その答えは、夢の中で成し遂げたことが、一体全体、あなたにとって、何だというのか?ということであり、

また、成し遂げる、という考えそのものが、不完全を前提にした問いだからです。
あなたの本性、というより、あなたは完璧なのです。
完璧であれば、なぜ成し遂げる必要が出てくるのでしょうか?
間違ったエゴだけが、不完全を求めるのです。それは、妬み、憎しみに駆られている者だけができる問いだからです。

いいでしょうか?
ですから、このすべてが完全に許されたとき、言い換えれば、許されるべきものなんて何一つなかったことに気づいたとき、私は自由”でいます”

レベル:ユニティクラス