さて。

今回も素敵なお便りをいただきましたので、ここで皆さんと分かち合いたいと思います。

お便りを下さったのは、以前、

直接理解という贈り物

という記事でご紹介させていただいた方です。

今回も非常に的を得た体験と気づきのお便りをくださいました。

では、早速、みてみましょう。


先日、会社でマッサージ器の横のソファに寝転がっていたとき、
急に実存とは という想いが湧いて、
自分は何をみていたんだろう。
いや何かをみていたかったんだろう。
観ている天井がその名を外して
ただありました。

解ろうとするものもなく、
知るものなどもなく、
気付くか気付かないの問題だけと思いました。
目から鱗とまでの強烈なものではないのですが、
実存は本質に先立つ とはこの事かと思いました。

先日のメールでお話した手に入れたいもの、
まさに無い物ねだりというか、
ますます、バカらしくなって参りました。

これは、まさに皆さんに体験し、気づいて欲しい事の一つです。

私たちは、光速よりも早くラベリング作業をし続けているのです。
けれども、私とはその作業を行っている人ではありません。

そのラベル貼り付け作業が外れたとき、まさしく観照している状態になるのです。

そこには、気づきしかありません。
全ては、虚無の中から立ち現れては消えていくことが起こっているだけなのです。

世界は、まさしくそこから現れて、そこに消えていくわけです。

この体験をされた方は、もう私がこの事に対して何を話そうとも疑うことはないでしょう。

なぜなら、自分自身の体験を通して気づいたのですから。

気づきは、確信を超えて知る事(ノウイングネス)に直結するのです。

こういうわけで、私は皆さんに直接知って欲しいのです。

そうすれば、言葉は必要なくなるから。

さて、次回は、この体験から私たちが見逃してはならないもう一つのポイントについて、言及しましょう。