今回は、先日お便りいただいた内容を共有したいと思います。
今回も、目覚める存在、目覚めた存在の特徴的なことを記していく内容です。
これまでも、たびたび取り上げるテーマで重複するところもありますが、繰り返しが重要ですので、
取り上げたいと思います。
では、早速、進めていきましょう。
(…略)
会社を辞めることが起こりました^^ ずっと辞めたかった状態が続いていましたが、きっかけがなく悶々としていたところ、11月ぐらいに在宅勤務→出社必須に会社方針が切り変わり、それを理由に辞める運びとなりました。
かぐや姫の映画のように、それはそれは猛烈な引き止めでしたが、当然全ての提案(私にとっては決断をくつがえすほどの提案はなく)にノーと言い続け、ついに先月5月末で辞めました。もう本当に無理でした。他のみんなと同様に、今いる場所に安住し、すがりつくように働ければよかったのですが。最後の方はヘトヘト、でも愛を持って乗り切りました^^;
そして、これはちょっと傲慢に聞こえるかもしれませんが、私が関わるとみんなが好きになってしまう、つまり私から離れがたくなってしまうということです。←おぃ!?
相手が私の何か(実在?)を感じてしまうのか、その場から抜け出ることが大変になってしまうので、今後は自分がいる場所を注意しなければと思う次第です。今までも必要があってその場にいたとは思いますが!
(以下、略)
さて。会社を辞めることが起こりました^^ ずっと辞めたかった状態が続いていましたが、きっかけがなく悶々としていたところ、11月ぐらいに在宅勤務→出社必須に会社方針が切り変わり、それを理由に辞める運びとなりました。
かぐや姫の映画のように、それはそれは猛烈な引き止めでしたが、当然全ての提案(私にとっては決断をくつがえすほどの提案はなく)にノーと言い続け、ついに先月5月末で辞めました。もう本当に無理でした。他のみんなと同様に、今いる場所に安住し、すがりつくように働ければよかったのですが。最後の方はヘトヘト、でも愛を持って乗り切りました^^;
そして、これはちょっと傲慢に聞こえるかもしれませんが、私が関わるとみんなが好きになってしまう、つまり私から離れがたくなってしまうということです。←おぃ!?
相手が私の何か(実在?)を感じてしまうのか、その場から抜け出ることが大変になってしまうので、今後は自分がいる場所を注意しなければと思う次第です。今までも必要があってその場にいたとは思いますが!
(以下、略)
上記のような次第なのですが、ざっくり言えば、この方は、つい最近、これまで10年ほど勤めた会社を去ることが起こったそうなのです。その際、何を感じ、何に気づいたのか?そういったことをメールしてくださった次第です。
いつもながら素晴らしい内容で、皆さんに当てはまることもあるがゆえに、ここにこうして共有させていただきたいと思います。
★一点目
>会社を辞めることが起こりました
ここですね。
非常に良い書き方です。
会社を辞めました。ではなく、辞めることが起こりました、なのですね。
この方はよくわかっているわけです。
だからこそ、こういう書き方になるんですよね。
この方は目覚めているわけですが、私がわかる限り、文章に傲慢さが感じ取れないんです。
だからこそ、目覚めているわけです。
それは、マナーを守って、礼儀正しく書こうとか、尊敬語と丁寧語を正確に使おうとか、そういうことでありません。
そんなもの、いくら使おうと間違ったエゴの臭いは消し去れないからです。
あとのテキストでも再度触れますが、目覚めれば、あのお得意の臭い、傲慢さがかなり消え去っていきます。
それをこのメールからダイレクトに感じ取れるわけです。
注意すべき点は、公式で生きてはいけない、ということです。
~が起こりました。がオフィシャルで正解だから、そう書こう、というのは、完全に間違っています。
それなら、~を辞めました。のほうがよっぽどいいわけです。
無駄に優秀さを装うと、後ですごく苦労するわけです。
また、そういう風に正解だからそう書こうとしても、見える存在から見ると、臭いをかぎ分けられるわけですから、すぐにばれるわけです。
この方のように、結果としてこういう風に自然と書けるようになる、というのがまさしくなプロセスの進み方です。
★二点目
>もう本当に無理でした。他のみんなと同様に、今いる場所に安住し、すがりつくように働ければよかったのですが。
ええ、本当に。
気持ちは痛いほどよくわかります。
これは、すでにテキストでも再三触れていますが、これは、いわゆる、覚醒あるある、と言えます。
覚醒する存在は、このように彼らと同じような生き方はできないのですね。
その理由は、非常に簡単です。
それは、食うために生きているわけではない、からです。
生活のために、生きてるわけではありません。
これを言うと、眠っている彼らは、怒りまくります。
「お前だって…」とあらゆる反論を並べ立てますが、それは、本当のことを指摘されているからに他なりません。
この方をはじめ、覚醒する存在は、食うために生きていません。
けれど、この世界は、食うために生きる者の場所なのです。それが、眠りなのですから。
ですから、覚醒する前も当面の後も、この者たちの非常に低い意識レベルに合わせなければいけないため、尋常じゃない苦しみの中を進んでいかなければなりません。最も辛いことは、この苦しみは決して認知されない、ということなのです。
なぜなら、ここはほとんどすべてが眠っている者のための場所だからです。
だから、自分自身の苦しみを言ったところで、本当に理解してくれる人はいないのです。
逆に、変り者とか、あらゆるレッテルを貼られることになるわけです。
ですから、仕事を辞めざるを得なくなった時や、仕事が見つからない時など、このことを思い出してほしいと思います。
それは、確かに少々の慰めにしかすぎませんが、あなたが進んでいる道は、決して間違っていない、ということなのです。
あなたは、食うために、生活のために生きているわけではありません。
なぜなら、あなたは体じゃないんだから。
あなたは、最も偉大な仕事を成し遂げるために、ここにいるのです。
(これは、間違ったエゴをつけあがらせるための誘い文句ではありません)
★三点目
>そして、これはちょっと傲慢に聞こえるかもしれませんが、私が関わるとみんなが好きになってしまう、つまり私から離れがたくなってしまうということです。←おぃ!?
確かに、一見すると、痛い文章に見えるかもしれませんが、事実は、そういうことだ、ということです。
これも、覚醒する方にはよくあることのようです。
私自身、この方にお会いしたことがあるのですが、「それは確かに、そうだろうな」、とよくわかります。
では、なぜそうなのでしょうか?
なぜ、覚醒するものによくあることなのでしょうか?
それは、光を放っている、からに他なりません。
覚醒するものは、すでに光を放っていることが多いです。
その光を無自覚にキャッチして、人は寄ってくるわけです。
それは、なんていうんでしょう、たとえが悪いですが、夏の夜、電灯などに群れている虫のようなものです。
目覚めた後、これを見て、「あぁ、こういうことなんだな」とすっかり納得がいきました。
この方も、たぶん小さいころから、そうだったんだと思います。
小さい頃から、なぜか人が寄ってきてたりしてたのではないかと思います。
問題なのは、光を放っている者も自分が光を放っているとは自覚していない、ということです。
目覚める前ならなおさらなのです。
だから、時にはすごく嫌な気分がすることになります。
なぜなら、馬鹿みたいに人が寄ってくるから。
しかし、実は、あなたは無自覚に人に安心感、希望を与えているのです。
そして、相手も無自覚にそれを受け取っている、というわけです。
光とは、希望であり安心、喜びです。
ですので、闇の中にいる者たちは、光を見つけて、安心感を感じ、希望を感じ、寄ってくるのです。
これが、ここで起こっていることです。
このテキストを読み、なぜか深く響く方はいかがですか?
なぜか親近感を覚えますか?
その光は、肉眼でとらえられるような”もの”ではありません。
そして、目覚めが起きたあと、その光はさらに輝きを増すようになります。
そうすると、周りにいる眠った者たち、闇の中にいる者たちは、さらにひきつけられるようになります。
だから、この方は、それをどこかで認識しているから、こういう書き方をするんですね。
ですから、傲慢とはみじんも感じませんでしたし、逆に自嘲気味に語っていることのほうが問題でした。
なぜなら、それはつまり、まだかなり自分を許していない、つまり、自分を見抜いていないことを示唆しているからです。
そういう言い方をして、私が気分を害するとは思っていないでしょう。
でも、自分自身で鼻が伸びるのを抑えなければいけない、とたしなめていることはわかるのですが、
事実は事実ですので、ありのままに表現することが起こるはずなのですね。
そこで蓋をしてしまうと、結局、自分自身を窒息させることにつながるのです。
これが、これからのこの方のハードルとなるでしょうが、いずれ、そこも超えていくことは確実です。
以上が、共有までになります。
さて。
いかがでしたでしょうか?
この方のみならず、クラスなどにご参加くださった方、また、参加はしていないけど、このサイトのテキストを読んで深く何かを感じ、日々を過ごしていらっしゃる方々は、それぞれプロセスを進めているのです。
私たちは、みな、一つのゴールに向けて進んでいます。
それは、別々のゴールではなく、同じゴールです。
ただ、時には「やってられない」という気持ちになることがあると思います。
そういう時は、このようなシェアシリーズを思い出してください。
自分一人だけではなく、同じゴールに向けて、今では多くの同僚が同じ道を歩んでいることを。
では、今回は、この辺で。
※サイト掲載に許可をいただき、ありがとうございました。