☆心が軽くなること

スピリットに触れ、人生のグランドピクチャーを観たことによって、スクルージは生まれ変わってしまいました。

彼にとって、それまでの人生とは、弱肉強食であり、慈悲を持った時点で負けであること、徹底して自分だと思っている自分のためだけに生きる事でしたが、それが一変してしまったのです。

生きる事の真の喜びを、彼は再び取り戻したのです。
精霊は、彼に何も強制しませんでした。
人生を楽しむように、他人と分かち合うようにとは言いませんでした。

頭を押さえつけられた結果ではなく、彼は、直接知った結果、本来の心を取り戻したのです。

嬉しくて、爆発的な喜びの中にいるとき、心は完全に軽やかなのです。
そのような心だからこそ、彼は、家の中ではしゃぎまわれたのです。
階段なんかつかわず、手すりで滑り降りてしまう、なんていう芸当も可能になってしまうのです。

それまで、杖を使わなければ歩けない老人だったはずが、本来の心を取り戻した結果、軽やかな心の指揮の元で、体はその通りに動き始めるのです。
これは、映画というフィクションだからできることなのではなく、実際にそうなのです。

そして、家の中で窮屈にしていることもできず、外に出てはしゃぎまわり、困っている人を助け、分かち合い、パーティに行き、人生を楽しむ、ということを生きたのです。

皆さんにお伝えしたいのは、これは小説や映画というフィクションですが、起こる事は、このようなことが実際に起こる、ということなのです。
目覚めが起こると、実際にこうなります。
あの黄金の朝に触れると、このようなことが起こるのです。

この小説、映画は、スクルージは、目覚める事によって、人生はどうなるのか?
何が変わるのか?ということを、端的に教えてくれているのです。

目覚めるまでの彼は、間違ったエゴのままでした。
彼は、いわば、カオナシであり、ゴラムだったのです。

そして、そのような生き方をしていけば、どのような人生になり、どのような最後を迎えていくのか?それをここで示しています。

スピリットから全てを見せられた後、彼の瞳は、輝いていました。
子供の頃の、あの柔和な瞳そのものになったのです。
ギスギス、ギラギラして、固くこわばった冷たい瞳から、子供のような純粋な、純真で柔和な瞳にとってかわりました。

このようなことが起こるには、自分だと思っている自分のやり方では、ダメなのです。考える事によって、ロジックを使うことによって、分析する事によって、このようなことは決して起こりません。
この映画を観て下さい。彼は、こごえるような寒さの中で、暖炉の前で暖をとっていただけなのですから。

不適切な表現ではありますが、向こうからやって来なければいけないのです。
そうなることによって、このようなことが起こるのです。

これが、私が皆さんに伝えていることの骨子です。
私が皆さんに伝えようとしている軸は、このことです。
だからこそ、ギブアップなのです。
おわかりでしょうか?

さて。
いかがでしたでしょうか?
このテキストを読んで、本当に心の奥底でつながっている感じがするのなら、たしかにあなたは本来の道を歩んでいます。

そうではなく、くだらないと感じたり、どこかに欠点を探してしまうのならまだ、まだあなたは、それまでのスクルージの人生の方が素敵だと思っている、ということです。それは、それでよいでしょう。そのような人生は、私も生きてきたので、よくわかります。

ただ、この小説、この映画は、目覚めを望んでいるのなら、覚醒がどのようなことをいうのかを知りたいのなら、ぜひ観たほうがいい作品の一つだと思います。

(おわり)