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人間の進歩度合いのチェック

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さて。
ホワイトクラスの段階から入る前に、まず人間の進歩度合いとはどのように測られるのか?その概観をみていきましょう。

世界には、とても進歩した方もいらっしゃれば、はたまた、とても原始的な生き方をとっている方もいらっしゃいます。

このように、様々な方によって、この幻想の劇は演じられているのですが、ここではあえて、人間の進歩にはどのような段階があるのかを話してみたいと思います。

☆個別ではなく、全体

究極的には、進歩していようといまいと、それは見せかけの姿です。
私達は、個別に見えて、実は全体なのですから、誰かが進歩していて、
誰かが原始的だというのは、ありえないのです。

ただ、私達は個人、つまりエゴという幻想の中で眠ってしまっているわけですので、目を覚ます為の一助として、このような回を設けました。

これから、ホワイトクラス、ゴールドクラス、クリアクラスと続いていくわけですが、まずは自分自身がどの段階にいるのかを、最初にここで確認してください。

これから述べます段階は、私自身が観察し、経験した事を踏まえてお話していきます。

さて、ここから述べる段階は、ある一定の段階から、ご説明していきます。
それより下の段階につきましては、あえてここでは触れません。

☆輝き

ある一定ラインとは、本人の輝きによるものです。

人生が惨めで、いつも他人や状況を非難し、愚痴をいい、過去の成功に浸り、
暗く、いじわるで、親切心もなく、暴力的で、よそよそしく、自分だけが全てで、
やられたらやり返すことが当然だと思っている。

このような状態の方は、輝きを放っておりません。
このような状態は、間違いであるということでは、決してありませんが、
ギブアップの会、及びこの講義に参加される方で、
そういう段階の方はいらっしゃらないので、あえて割愛させていただきます。

ある一定ラインの状態まで行き着いた方で、
それを人生で体現されている方は、経験上、輝きを放っているのです。

進歩という事で、私がなかなか受け入れることが出来なかった事があります。

私にとって受け入れることが難しかったのは、進歩した人間というのは、必ずしも社会的に優位に立っている人間のことではない、ということでした。

頭が良いからといって、進歩した人間とは限りません。
優秀だからといって、進歩した人間とは限りません。
良い会社に勤めているからといって、進歩した人間とは限りません。
役職に就いているからといって、進歩した人間とは限りません。
経済的に豊かだからといって、進歩した人間とは限りません。
沢山の知識があるからといって、進歩した人間とは限りません。
技術に優れている事が、進歩しているということではありません。

私はこれを確かめる為に、沢山のそういう方たちと話してきました。
もちろん、このような方たちの中には、進歩している方もいらっしゃいました。
ですが、ここで指摘しているのは、上記の条件が即ち進歩していることを現しているのではない、ということです。

☆在り方と気付き

進歩とは、在り方と何に気付いているか、ということです。
本人が、何に気付き、どのような在り方でいるのか、という事が、
進歩の段階を表しております。

では、具体的にどのような進歩段階があるかを見て行きましょう。

☆D段階の人間

まずは、Dの段階から見て行きましょう。

D段階の方の特徴は、下記のようなものになります。

・よく笑える人
・明るい人
・前向きな人
・共感できる人
・素直な人
・主体的に人生を生きようとする人
・親切な人
・奪う事をあまり好ましいとは思わない人
・力で解決しない人
・やられてもやり返さない人

このような在り方が日常的に出来る方は、大抵一緒にいて、不快ではありません。

このような在り方は、基礎、土台にあたるもので、非常に重要です。

簡単なように思えますが、こういう在り方が根付いている方は、あまりいません。
時々そうであったり、そうでなかったりという方は、
大勢いますが、根付いている方は、あまりいないのです。

よく笑うというのは、重要なことです。
よく笑うというのは、愛想笑いのことではありません。
よく笑うというのは、ビジネスで使うひきつった笑いではありません。

遠慮なしに笑うことを忘れてはいけません。
遠慮なしに笑うことを忘れなければ、屈託のない笑いができるでしょう。
屈託のない笑いは、いずれ神なる微笑みにつながります。
そのような笑いが出来れば、他者はあなたをみて、笑いではなく、
あなたである本性の光、つまり輝きを目撃する事になります。
それを目撃しただけで、その人は、還るべき場所を思い出せるのです。

よく笑える人は、大抵明るいものです。
そして、人生を肯定的にとらえていこうとし、
関わる人や状況と協力し合いながら、人生を進めていくことでしょう。

前回のおさらいになりますが、このD段階より下の段階については、触れません。
私が観察した限りでは、ほとんどの方は、この段階より下の所にいるようです。

☆C段階の人間

では、D段階に続き、C段階の在り方とはどうのようなものなのかを見ていきましょう。

C段階の特徴は、下記のようなものになります。

・心を開いている人
・許せる人
・決め付けない人

D段階では、基本的な素養としての明るさや笑いといったものが重要視されていました。
ただ、問題が起こったときや人生の態度として、主体的に捉えているので、
直線的な人生になりがちになります。

直線的な人生の限界を知ると、C段階に来ます。
ここでは、可能性に心を開き始めます。

例えばここでは、一般的に受け入れられない霊やUFO、超常現象といったものの
可能性を充分に受け入れることが出来ます。

このような超常現象のみならず、人間関係の限界にも気付き始めるので、
人間関係にオープンになりはじめます。
人間関係が、理想郷に辿り着く為のツールではないことに気付き始めるのです。
人間関係それ自体は、何ももたらさないのです。

ですので、人間関係に執着がなくなりはじめるので、非常にオープンになるのです。

この段階まで来ると、周りの人間を見ると、少々不思議に思い始めます。
「なぜそんなに頑ななんだろう?」と。

「幽霊なんて、絶対に存在しない」

と主張している人を見ると、なぜそんなにヒステリーに否定するのか、
不思議に思います。それほど大したことではないのに。

C段階の方は、UFOや宇宙人がいたって別におかしくないとわかっています。
だからといって、それを声高に主張する必要もないとわかっています。
なぜって、当たり前だから。

このように、この段階に来ると、大半の人間とのギャップが非常に激しくなります。
そして、この段階の方は、大半の人間との絶望的な差を感じて、少々哀しくなります。

また、この段階の方は、ここでUFOや天使、神、エネルギー、瞑想、チャネリング
ヨガなどのいわゆる、ニューエイジやスピリチュアル、宗教といったあらゆる領域に
自ら興味を持ち出します。
なぜなら、社会が提供しているものに、全く満足できないからです。
間違いなく、もっと素晴らしい世界になれることを信じて疑いません。

そこで、自分のプログラムに従って、
関わるべき組織や団体の中に入っていくかもしれません。

彼らは、自分自身の段階を意識的にあげていくことに、人生を捧げます。
彼らが従うマスターの助言に従って、日々精進していくのです。

彼らは、大半の人間と何が違うかといえば、止まれるのです。
自分自身に何かよくないことが起こったとき、止まって、それが何なのかを
見出そうとするのです。

大半の人間は、違います。
大半の人間は、メリットとデメリットの反応しか出来ません。

つまり、やられたらやり返すわけです。何倍にもして。
自分が傷ついたら、相手にも同じ事をしてやろう。
頭にきたら、すぐに言い返してやろう。

しかし、C段階の人間は、立ち止まれるのです。。
そして、そこで何が起こっているのかを自分に問いかけます。
既に、そこでは相手は眼中にありません。

彼らは、なぜ自分にそれがやってきたのかを調べます。
そして、その状況との関係で自分が選べることを選びます。
傷ついたことをしっかりと受け止めます。
そして、その状況を許し、明るい光のある状況を選びます。

これがC段階の人間の特徴です。
彼らは、人生をマスターする事に人生を捧げているのです。

では、次回は、B段階の在り方とはどういうものかを見て行きましょう。

☆B段階の人間

さて、今回はB段階の在り方がどのようなものかを見て行きましょう。

C段階では、心を開いている在り方でした。
この段階は、既に偉大な方向転換が起こっている段階です。

偉大な方向転換とは、生き方のベクトルが逆転した、ということです。
それまでは、まだベクトルが外側に向かっていました。
しかし今や、ベクトルが内側に向きを変えたのです。

今までは、外側へ探検に出かけていました。
しかし、この段階では、外側に探検に出かけるのをやめ、
内側に興味を持ち始めたのです。
なぜなら、どうやら自分自身がこの現実を創り出しているような気がして
ならなくなったからです。

さて、この段階が、更に進みます。

☆特徴

B段階の方の特徴は、下記になります。

・私もまた、神である事を受け入れる。
・自分自身の人生を総括しようとする。
・全ては一つである事を理解し、受け入れられる。
・忍耐力を持っている。
・絶対に諦めない。
・自分の利益より、全体の利益の方が重要だとわかる。
・自分が誰であるかを知る事をいとわない。

B段階で自分自身に興味を持ち始め、あらゆる経験をしながら、
彼らは、自分もまた神である事を理解します。

なぜなら、神は全体だから、その一部である私もまた当然のように神である、
ということがわかるのです。
そのことが”直接的に”分かる時、もしかしたら、彼らの中で何かが爆発するかもしれません。

その爆発は、自分であったものを文字通り、粉々にしてしまいます。
さっきまで何十年と生きていたと思っていた人の死をもたらします。
これは、悲嘆すべき事でも恐れることでもなく、とてつもない祝福です。
それは圧倒的なまでの解放感をもたらします。

このような経験を、B段階の人は、通り抜けていくでしょう。

彼らは、自分自身の偉大さに気付き始めます。
全ては一つで、何も分離していない事が分かり始めるので、
出会うもの全てに感激で一杯になります。

問題は、その感覚に、関わる人が付いていけないことです。
付いていけない人は、その人の輝きを見て、もっと一緒にいたい、
私もそうなりたいという純粋な欲求を持つ人が現れるか、
そのエネルギーを奪いたいと思う人も現れます。
また、ただ嫉妬し、やり込めたいと思う人も現れるでしょう。
あるいは、理解できないので、ただただ非難する人も現れるでしょう。

恐らく、家族は誰も理解できないことになっているはずです。
友人も、恋人も、先生も、誰も理解できません。
理解したいとも思っていません。

それがまたドラマを生み出し、そのドラマに巻き込まれるでしょう。
B段階の人は、ただ自分自身の偉大な理解に圧倒され、
エゴが何をもたらすかの知識を持っていないのです。
それが、彼らをどん底に突き落とすでしょう。

ですので、あらゆる面倒くさい事件が次々に起こってくる可能性があります。
つまり災難です。

B段階の人の特徴は、それでも忍耐力があることです。
あらゆる困難が降りかかってきても、決して歩みを止める事はありません。
自分自身のもっと偉大な性質を体験したいと思っています。

自分自身が神である事の理解は、それほどまでにすさまじいものです。

彼らは一歩ずつ、進んでいきます。
一歩進むたびに、彼らは光り輝き、その輝きは全世界を照らし、
あらゆるものの道しるべとなるのです。

では、次回は、A段階の在り方がどういうものかについて、見て行きましょう。

☆B段階の限界地点

前回は、B段階の在り方がテーマでした。

B段階の人間は、私もまた、神であることに気付きます。
そして、自分の人生に神性を統合しようとしていきます。

ただ、道が余りにも険しい為、ややもするといわゆるダークサイドに
落っこちてしまいます。
何かの本でもあるように、この道は、剃刀の刃のようなものです。
傷つき、落下する事が常態なのです。

この段階では、誘惑と罠がより巧妙に仕掛けられています。
ですので、彼らは、何度も何度も同じ道を歩かされることに
なることもありえます。

とりわけ、非常に高い壁にぶち当たるのが、神であることです。
彼らは、途中、このように問いかけるはずです。

「私もまた、神であるなら、なぜこんなに苦しい目ばかりに
出会うのだ。神なら、解決できるのではないか?」

☆失うこと

神の特質は、創造性と許すことです。
この段階に来ると、多くの人は、お金に困っている場合が多いです。

なぜなら、仕事を辞めてしまうことがほとんどだからです。
辞める理由は、もちろんそれがふさわしくないからです。

以前は大好きでやりがいを感じていたとしても、
ある目覚めが起こってしまったのなら、もうその仕事に何の興味
も感じなくなることがほとんどなのです。

言ってみれば、今まで説明してきた一つ一つの段階を上がって行く事は、
自分自身だと思っていたものを、常に捨てていくプロセスを辿っていくのです。

自分が大事にしていたキャリア、車、家、家族、恋人、預金…。
このようなもの全てを失っていくのです。

私が経験してわかるのは、
なぜこのようなものを失うはめになるかと言えば、
自分には何も必要がないことを知る為です。
大事だと思っていたものがなくても、自分が存在していることに気付く
ためにあるようです。
そして、失う対象は常に、自分以上に大切にしてきたものになるのです。
自分がその対象物に”夢中”になっていればいるほど、必ず失います。

なぜなら、自分以上に大切なものはない事に気付かなければいけないからです。
最優先事項は、”私”なのです。
そのことに気付く為に、あなただと思っている全てのものを失っていきます。

ですので、この帰還のプロセスは想像を絶する苦しみを伴うことが大半です。
こういう理由から、ほとんどの人は、夢にいることを望むのです。
そして、こういう理由から、家に還ることを決心する人は、
大抵その苦しみに耐えるだけのタフさを身につけているのです。
つまり、上手く出来ているのです。

さて、このB段階でつまづくのは、創造性です。

「私は、お金を、仕事を創り出す事ができない。神なのに。」

概念として、私もまた、神であることはわかっていても、
実生活は、まったく神らしくないことに、うんざりするでしょう。

ここで、彼らは、その原因を自分の信念体系に求めます。
つまり、自分の信念が創造性が生まれることを妨げていることに気付くのです。

そして、自分の信念体系を調べ続け、それを理想的なものに上書きしていこうとします。
それを何度も何度も、やっていきます。
あるいは、現実の創造についてもっともっと修練していこうとします。

しかし、どこまでいっても自分の思ったとおりにならないことに、彼らは気付きます。

そして、この壮絶な挫折感、
つまりあらゆる物を捨てても尚、到達できない挫折感が、
もしかすると一筋の光明をもたらすかもしれません。

挫折に打ちのめされても、諦めないでいると、
彼らはついに、根本を見つめるようになるのです。

それは、何でしょうか?
彼らは、元に戻ります。

☆偉大なる気付き

「そもそも、神であろうとしている私とは、一体何なのだ?
私もまた、神である。と私が言う時、私と神との間には、距離がある。
果たして、本当だろうか?
私が神であるなら、どうして”そうなろう”と”努力”する必要があるのか?
そうすることは、つまり私と神が別々のものだという認識があるせいではないか?

では、この苦しんでいる私とは、一体何なのだ?
それこそ問題ではないか!?

この何かになろうとしている私は、恐らくエゴだ。
だからこのエゴをどうにかしなければいけない。
そうでなければ、神であることはわからないはずだ。」

このように、”自動的に”初めて、この認識に到達できるのです。
この認識は、理性で考えて導き出すものではありません。
本で読んでも、わからないでしょう。

この認識が、自動的にやってこなければいけないのです。
自動的にやって来て初めて、それが効率的に仕事をし始めるのですから。

このように、彼らは、まずはこのエゴを何とかしなければいけないことに
危機感を感じます。

ここまで来て初めて、エゴと対峙できるのです。
言ってみれば、彼らはやっと必要な装備を身につけることが出来たのです。

これがB段階の最終段階です。
そして、ここからA段階に歩み始めます。

前回は、B段階の限界地点について説明しました。

この限界地点を越えると、新しい局面を迎えることになるでしょう。

☆A段階の人間

では、A段階の在り方、及び気付きの特徴を見ていくと、下記のようなものになります。

・自尊心とうぬぼれが最大の問題だと気付く。
・探していたものは、既になっていたものだと気付く。
・偽りを偽りと見抜ける。
・自分が何者かを、直接的に知っている。
・諦める事、御心のままに、の直接的な理解を得て、人生に従っていく。


このA段階に到るまで、自分自身がいかにエゴに騙され続けていたかを知って、
彼らは、愕然とするでしょう。
それは、もしかすると強烈な怒りを伴うかもしれません。
ただ、この段階に来れば、もうダークサイドに陥る事はないでしょう。
なぜなら、彼らは充分に観察者としての基礎が出来上がっているからです。

この段階では、習い読んできた概念を直接体験することになります。
この直接体験が、あなたが関わってきた全ての偽りというショーを見せてくれます。

☆自尊心とうぬぼれ

A段階の最初では、自分の自尊心とうぬぼれが最大の敵である事を理解します。
これは、B段階の信念体系の洗い出しと含めて行われる作業です。

彼らは、あらゆる瞬間に、自分がどれだけ自尊心の餌になってきたかを見ることになります。
これは、今まで学んできた事と矛盾しています。
なぜなら、今までは自分自身を愛する事を学ばなければいけませんでした。
けれども、この段階では、全く逆の理解を得る事になります。

しかし、これは間違っているのではありません。
私達にとって、段階段階で最善の理解というものがあるからです。

自分自身をいつも卑下し、大切にしない事は猛毒のようなものなのです。
それは関わる人や状況全てを汚染します。
自分を卑下する事は、自尊心より遥かに毒性が強いものです。
なぜなら、自分を卑下する人は、自分そのものを見る事はできないからです。
A段階は、自分を真正面から見て、掴んだ人のみが行ける領域です。
卑下する事は、見れもしないのです。それは、とても粗野な段階なのです。

よって、このように卑下し、自分を扱えない人はまず、自分を愛する事を学んでいかなければいけません。掴まなければ、離せないのですから!
そして、自分を十全に愛する事が出来た方は、その次の段階に進み、やがてA段階に辿り着き、事実を理解するのです。
つまり、自分を愛するという時、何を愛しているのかに気付くのです。

さて、自尊心と向き合いだすと、自分がいかにグロテスクなものを守ろうとしてきたのか、そしてそれがどれだけ空虚なことなのかが、やっと分かり始め、同時に、これを越えるのにどれだけかかるのだろうかと思います。
ここでは、まだ実践を積んではいますが、まだ概念としての理解に留まっています。

この作業を諦めることなく、ずっと続けていくと
次に、彼らは、彼ら自身を”直接的に”知る機会に恵まれるでしょう。

☆輝きの中で直接知る

これは、輝きの中で、理解がやってきます。
決して理性では到達できない所から、理解がやってくるのです。

その直接体験によって、彼らは、とんでもなく自分が愚かだったことを
直接的に知ります。
この直接体験によって、彼らは、自分自身が既にそうなっていたことを
知ります。そして、自分が何も知る必要がないことも知ります。
それはまるで、メガネをかけながらメガネを探し続けているようなことでした。

あらゆるマスターやグル、聖者や賢者は皆、同じ事を言い続けています。

☆汝、すでにそれなり

「探しているものは、目の前にあるのだ。汝は、すでにそれなり。」

彼らは、このマスター達が言っていることを読み、学んできました。
しかし、同時に彼らは、これが単なる概念でしかないことも知っていました。
そして、このメッセージを本当に理解できる日が来るのか?
とずっと悶々としていたはずです。

しかしいまや、この直接体験によって、このメッセージを直接的に理解するのです。

彼らは、もう何にもなる必要がないことを理解します。
もう彼らは、手を上げて、ギブアップとしか言えない事を理解します。

今まで、これらは単なる概念でした。
しかしひとたび理解の扉が開いたのなら、それはまさしく事実だったことを知るのです。

そして、この理解が根付いた後、A段階の最終地点に向かいます。

前回は、A段階の在り方の特徴を見てみました。

今回も引き続き、A段階について見ていきます。

さて、A段階の人間は、明らかに異なっています。
異なっていますが、ごく普通の人間です。
A段階に到った人間は、本当にごく少数でしょう。
ですが、彼らは自分が他人と違った特別な人間だと主張する事も、態度で示す事もないでしょう。

彼らはそれまでは、何か特別な事を期待していました。
期待が何をもたらすかを知っているにもかかわらず、それでも期待してしまっていました。

悟りを得ると、どうなるのか?
覚醒すると、どうなるのか?
自由になると、どうなるのか?
アセンションすると、どうなるのか?
マスターになると、どうなるのか?

彼らは、このような欲望を持っていました。
しかし今や、これらの本当の価値を見抜くことができるのです。
それは、期待していたものとは全然違うことを見出します。
ですので、もうそこに期待も欲望もなくなるので、彼らはそれを追いかけません。

今や、誰に、それを追いかけろ、と言われているか気付くのです。
そして、それを簡単に捨てる事でしょう。

☆エゴを終わらせる

さて、今では彼らの興味は、自分だと思っているものだけです。

彼らは、自分だと思っていたもの、つまりそれはエゴという個人的行為者だったこと。
そして、その個人的行為者というのは、実は存在していないことを知ります。

存在していないのに、存在しているように思える自分に、彼らは苛立つでしょう。
そこで彼らはもう一度戻って、どうしたらこのエゴを終わらせる事が出来るか、
対策を練るのです。

これを達成できた方は、歴史上、わずかばかりのようです。

そして、そのわずかばかりの方の教えに、彼らは真剣に耳を傾けます。
それ以前の段階では、教えを聞いても、それは概念で、外側のことでした。
しかし今や、間違いなく、それがわかるのです。
わかることがわかるのです。

しかしながら、彼らはじきに気付くのです。
そのわずかばかりの方々が残した教えは、全員違う表現だという事を。
そこで、彼らは途方に暮れます。

そして、苦悩極まると、彼らはそれを解決しようとしている人に気付きます。
またもや、彼らは騙されたのです。

ここまで来ると、彼らはもう自分は何も出来ない事を理解します。
そうやってギブアップして初めて、そもそも自分は何もしていなかった事を
直接見ることになるのです。

この理解によって、エゴはもうどうしようもなくなってしまいます。

最終的に、彼らは人生を受け入れるのです。
そして、何をするにも自分がやはり何もしていない事にびっくりしながら、
それを受け入れていくことになります。

彼らは、人生に降参します。
そして、事実生きているものを愛していき、
そこに含まれる一部が自分であることも愛するでしょう。
つまり、私とは、人生の主体ではなく、客体だったわけです。

間違ったエゴにピリオドを打つには、間違ったエゴとしていかにあなたが間違っていたのかを完全に知り尽くしたとき、エゴを創ったそのものが取り去ってくれるのです。
任せるほかないのです。

以上が、A段階の在り方です。

次回は、S段階の在り方について、見ていきましょう。
私が知る限り、ここが最終地点になります。

さて、前回まではA段階についてでした。

A段階の限界地点は、もう何も求めない事です。
求めても仕方ないからです。

もちろん、求める事が起これば、求めます。
しかしそれまでとの決定的な違いは、求める事に巻き込まれなくなっていることです。
彼らは、求める事が起これば、それを受け入れます。
なぜなら、どうしようもないから。

このように人生を生きていくと、彼らはS段階に到達します。

☆S段階の特徴

では、S段階は、どのような在り方かを見ていきましょう。
S段階は、下記のような特徴があります。

・見るものと見られるものと見ることが同じであると主張する。
・私が時間と空間の中にあるのではなく、時間と空間が私の中にあることを知る。
・世界の中に私が生まれたのではなく、私の中に世界が生まれたことを知る。
・目覚めた眠りについて語りだす。
・思考と行動に何の障害も見出さなくなる。
・創造も破壊もない、と主張する。
・何かしている感覚がなくなる。
・エゴ、個人的行為者の感覚が完全に根絶やしになっている。

彼らは、このような事をはっきりと語りだします。
彼らは、ついに平安を手に入れたのです。

もはやその人は、誰それという名前を持った人ではなくなったのです。
他者から見れば、彼らはまだ機能しています。
しかし、もうそこにあの人はいなくなってしまったのです。
なんという偉業でしょうか!!


☆エゴが怖れる事

何度も言いますが、あなたにエゴを終わらせる事はできません。
なぜなら、終わらせようと思っている当人がエゴだからです。

エゴの最大の恐怖は、消滅する事です。
エゴは、それを絶対に阻止します。
あなたがそれをしようと思っているのなら、必ず失敗します。

ですので、他の段階と同じように、間違ったエゴが終わることも神の意思によります。
なぜなら、あなたは行為者ではないのですから。
あなたは見せかけの意思を持っていますが、それは見せかけに過ぎません。
自分がしていると錯覚しているのです。

けれども、私達は、なぜかを知りたいと切望します。
神の意志を知りたいと思います。
それはもっともなことですが、残念ながら知ることは出来ません。
知ってはいけないのではなくて、どうやっても知れないのです。

これが、知る者を知る事はできない、という意味なのです。

なぜなら、あなたが知る者だからです。
あなたがあなたでなくエゴであるとき、知りたいと願うのです。

そういうわけで、S段階も他の段階と同じように、
それが神の意思であるなら、そこに達します。

☆誰が気にするのか!?

私がお伝えしたいポイントは、そうでないからといって、がむしゃらになったり、
ヒステリーになったりしないでください、ということです。
もちろん、そのような反応が起こるのは、そうセットアップされているのですから、
仕方ありません。それが神の意志なのですから。

ポイントは、つまりあなたが行為をしているわけではないのですから、
それに対して責任を感じる必要はない、ということなのです。
わかりますか?

もしこれを受け入れることが出来れば、なんと素晴らしいことでしょう!
もし、あなたがこれを受け入れられたら、そうではないからといって、
自分をダメだと思わなくなり、よって、嫉妬もなくなり、怒りもなくなります。
どうでもよいからです。

まさしく、ラメッシ・バルセカールが言うように、一体誰が気にするというのか!?
ということなのです。

以上で、人間の進歩度合いのチェックの講義を終了いたします。

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