ですので、スクルージ、彼の周りの人間は、彼とどう接していいかの解決策を見い出すことができませんでした。善意を示しても、彼との関係に希望は何も見い出せなかったからです。

ですので、精霊が必要になるのです。

人間のやり方では、彼の固く閉じた心を開かせる事ができないからです。
これは、つまり人間のやり方がいかに制限されているか?
対して、精霊のやり方が、どれほどの効果があるのか?ということを暗に示しています。

彼の閉じて固く冷え切った心を本来の心によみがえらせるには、精霊に頼るしかなかったのです。

そして、それを招いたのも、実は彼自身だったのです。
これは、何も罰として精霊がやってきたのではありません。
これは、彼が自分では気づかぬうちに(ここがみそです)、自らである精霊に助けを求めていたのです。(矛盾しているようですが、していません)
なぜなら、彼は自分の人生に嫌気がさしていたからです。

彼は彼なりに自分の人生をコントロールしていました。

しかし、それほど苦労して生きてきても、もう痛みしか感じなかったからです。
今では、杖をついてゆっくりと歩くことしかできず、だから自分の目に映る普通に歩ける人たちに対する憎しみを自らのうちに感じ、しかしながら、その憎しみの解決策を、彼は何一つ持ち合わせていませんでした。あるのは、ただ、老いて動かなくなっていく体だけだったのです。

彼が住んでいる家は、豪邸といってもいいほどのいいほどの良い家でした。
けれども、この映画で対比されている絵を見て下さい。
なんと不釣合いなのでしょうか?

この大きくて頑丈な家に住んでいる彼は、よぼよぼでしわしわでもう走る事すらままならない単なる老いぼれじいさんなのです。

彼は、家にしっかりとした錠をかけ、誰も家には入れさせないようにしています。なぜなら、彼はけちなやり方で積み上げてきたお金でそれを建てたからです。そして、そこに住んでいるのは、よぼよぼでしわしわでもう走る事すらかなわない老いぼれ爺さん、ただ一人なのです。
外見は立派であるのに、中身はなんと貧相なのでしょう。

その城の様な大きな家のなかで、彼はたった一人きりでいるのです。
その大きないれものをあまりにも持て余しているのです。

これは、何かのたとえのように感じませんか?
それを感じ取れるのであれば、あなたは見えはじめています。

そして、その答えは、もちろんその通りです。
これは、私たちのことなのです。

(つづく…)