☆精霊に触れるとどうなるか?

そして、クリスマスの晩、精霊は、スピリットは、彼の元にやってきました。

精霊がここで彼にしたことは、人生のグランドピクチャーを彼に見せることでした。

彼がどのように生きてきたのか?
そして、そのように生きているタイムラインに従えば、その後、どんな余生を送る事になるのか?

それを見せる事でした。

最初、精霊が現れた時、彼はそれを見ようとはしませんでした。
それを決して受け入れなかったのです。

『ローズ・レッド』に出てくるミラー教授のように、目をつむり、耳をふさぎ、

「あぁ、こんなの嘘に決まっている。見ないぞ、私は決して見るものか!」

というあの態度をとりましたが、スピリットは、おかまいなしに進んできます。
スピリットは、当然、間違ったエゴにとっては非情さを現しますので、やる事が決まった時は、間違ったエゴのどんな防御も完全に無効化されるのです。
かぐや姫の物語で、翁たちがしたどんな防御も攻撃も無効だったように。

さて。
スピリットは、彼の人生のグランドピクチャーをそのまま見せました。
判断は、ありません。
裁定は、ありません。
罪もなければ、罰もありません。

ただ、ありのままを彼に見せたのです。

彼は、自分の人生を、自分の人生ではあるけれど、まるで他人のように見る事になったのです。なぜなら、絵の中を現在の中で、見る事が起きている中で、何一つ変更できなかったからです。

これが、観照者の本来の状態です。
自分を、そこに観る事になるのです。
そこに観る、のであれば、観ている何者かがいるのです。
そして、そこで観られている者は、それまで自分だと思っている自分のなのです。

だからこそ、繰り返しますが、ニサルガダッタ・マハラジは

「ロウソクは、それ自体では輝けない」と言っているのです。

☆ロウソクは、それ自体では輝けない

そして、過去、自分が生きてきた物語がこのまま行けば、当然どうなるのか?
それも、ただありのまま、見せられたのです。

スピリットは、この領域で働いています。
間違ったエゴが、このようなことが出来るでしょうか?
いえ、決して。

それが出来るのであれば、世界は、このような状態にはなっていません。

私自身、このグランドピクチャーを見た時、それはあまりにも美しすぎ、素晴らしすぎたため、それまで生きてきた人生の書が閉じられたのです。

あまりの衝撃のため、一つの人生を終えてしまいました。

そして、翌朝、目がさめ、起きてみると、それまであった目の曇りがなくなっていたのです。それまでは、目が曇っていたことなど全く知りませんでした。

ですので、このグランドピクチャーを見たずっと後、『クリスマス・キャロル』という映画が公開され、強制的にそれを観に映画館に連れて行かれましたが、彼がスピリットによって見せられたものを、ここで再度、確認する事ができたのです。彼が見せられたのは、私と同じ絵だと。

私自身の道の確かさを、スピリットはここで、私に提示したのでした。

いいでしょうか?
このように神は展開します。
私は、このことに何の疑いも持っていません。
なぜなら、経験を通して、それを知ったからです。
そこに、何の疑いも持っていないのです。
ノウイングネスというのは、こういうことです。

ですので、あなたもそれを知らなければいけませんし、それを知れるのです。
あなたは、疑いなく、その資格も能力も持っています。
足りないものは、何もありません。
問題は、それを知りたいかどうか?ということです。
私は、強制しませんし、神もしません。
ただ、あなたがこのような領域に揚がりたいかどうか?
それだけなのです。

さて。
スピリットによって、彼はグランドピクチャーを見せられ、直接人生の意味を知ったのです。人生は、何のためにあるのか?それを、直接知ったのです。

人間の目を通してではなく、神の目を通して人生を観る事で、完全に目覚めが起こったのです。

(つづく…)