今回は、竹について、もう少し触れてみていこうと思います。

前回、竹が空洞であることについて言及しましたが、そこがポイントではないでしょうか?

かぐや姫は、一体どこから現れたのか?

そうです。竹ですよね。

その竹は、内側が空洞です。

つまり、彼女は、”空” から現れたのです。

何もないところ。空。

この空のトンネルから、彼女は出現することになりました。

さらに、この竹の内側、空の場所から、溢れんばかりの金が出現しました。
金が出現した後は、非常にきれいな着物が出現しました。

このように、空の場所からは、私たちが望むべきものは、
何でも現れることが出来ることを、ここで言っているのです。

この空の場所、何もないけれども、全てが可能である場所こそ、
私たちが見逃しつづけているところだ、ということです。

私たちは、何かになりきっている時、自分自身の本性を忘れるのです。
私たちは、自分だと思っている自分になりきっている時、自分自身の本性に気が付かないのです。

そうすることで、空の場所が塞がれてしまうからです。

自分だと思っている自分になりきっている時、決して止まることが出来ません。
止まる、とは何もしていない、空の、無の状態です。

ですので、止まること、個人が止まることが肝になるわけです。
止まることで、空の場所に気づけるから。

私であるものは、この場所を通してしか、現れません。
私が経験してきた限りでは。

このように、この物語は、最初の出だし部分でとてつもない智慧を語っているわけです。

これをヒントにして、もしかしたら皆さんは物語を書くかもしれませんねw

以上、今回は、まず最初に何を言っているのか?

なぜ、竹なのか?
竹が意味しているものは、何なのか?
かぐや姫は、どこから出現したのか?

について、触れてみました。

(つづく…)