今回はタイトルにあるとおり、本当のこと(あるいは真実)には、新しいも古いもありません。
こういわれれば、それは当然のことのように思うかもしれませんが、それでもプロセスの途中で大多数の人が罠にはまることです。
何度も繰り返しますが、本当のことに、新しいも古いもありません。
新しい真実なんてものは、ありません。
同時に、古い真実なんてのも、ありません。
なぜなら、新しい、古いといった場合、それは必ず時間という概念の中で機能しなければならないことを暗示しているからです。
時間が関係するのなら、それは根本的に偽りです。
ですから、今、それが最先端で新しくとも、何十年後かにはそれは、古くなります。それだけのことです。
しかしながら、本当の事は、時間を越えています。
といいますか、時間とは何の関係もありません。
そういうわけで、私たちは、新しい、というキャッチフレーズには気をつけねばなりません。間違ったエゴは、新しい、が大好きです。
なぜなら、それを追いかけさせていれば、ずっと安泰だからです。
その回し車の中に押し込めてしまえば、後は自動的に死んでくれるからです。
いわゆる、死の仕組み化ってやつです。
ですので、問題は、あなたはそれでもいいですか?
それとも、嫌ですか?
ということです。
いえ、もうそれさえ既に答えは出ています。
あなたは、もうそれが嫌だから、このテキストにめぐり合ったわけです。
というわけで、私が経験を通して推奨できる事は、
”新しい~”といったものをうたい文句にしているものの後にはついていかない、ということです。その行き着く先を思い浮かべて欲しい。ということです。
当たり前ですが、反対に古いことを強調するのも、同様です。
このことは、ぜひ覚えておいて欲しいことの一つです。
私たちは、新しいとか古いとか関わりなく、反対のない一つのことだけにフォーカスしなければなりません。