☆つかもうとする必要は、全くない
「あの時は、まだ子供だったから、わからなかっただけかもしれない。今はもう十分成長したし、勉強もしたのだから、観ればわかるのではないか?」
ともかく、私はあの時、なぜ自分が理解できなかったのか?
それがわからなくて、悔しくてしょうがありませんでした。
ですので、勇気を持って、もう一度、この映画をみてやろう!
と決めたのです。
もしかしたら、今見ても、やっぱりわからないかもしれない。
という不安があったのですが、それでも、あの謎を解き明かしたい!
という欲望のほうが強かったのです。
さて。
ここも、同じようにポイントです。
普段は絶対に入る事のない部屋に、なぜその日に限って入ってしまったのか?
なぜなら、そこには観なければいけないものがあったからなのです。
いいでしょうか?
自分がつかもうとする必要は、全くないのです。
私は、同じことを繰り返し繰り返し話しています。
なぜなら非常に重要だからです。
私が言えるのは、恐らくこれを読んでいるときですら、あなたは通過してしまっているからです。
「あー、わかるわかる。うんうん、そうだよな。」
という具合な反応になるでしょう。
けれども、あなたはずっと後になって、やっとわかるのです。
エゴは、その瞬間の価値に気づけないのです。
エゴが生きているのは、過去と未来とかりそめの現在だけです。
間違ったエゴは、今に生きれません。
間違ったエゴは、いつもそれを取り逃がします。
というより、今を見ません。
ですので、その瞬間、何が起こっているかは、本当はわからないのです。
私は、間違ったエゴではなく、個人ではなく、あなたに話しているのです。
この文章を読んでなお、過去の習慣にすがることによって、あなたは、何かを掴もうとするでしょう。
決して、やってくるのを待たず、自らそれを掴みに行くことでしょう。
そして、必ずそれは失敗するのです!!
失敗して失敗して、失敗して失敗して…。
これをうんざりするくらい繰り返してやっと…。
やっとあなたは、それを捨てる気になります。
それが、意味のないことがわかるのです。
いいでしょうか?このように進んでいくのです。
自分がその時に理解しなければいけないものは、必ず、やってきます。
そういう風になっているのです。
それを忘れないでください。
(つづく…)
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