発見者は大抵、この爆発という単語に興味を持っていると思います。

爆発を期待している人もいれば、それを恐れている人もいます。

たしかに、爆発という単語から連想されるのは、戦争、爆弾、テロ、粉々、死、血…といったものかもしれません。

そう考えれば、爆発する、と聞いて喜ぶ人がいないのは、当たり前のような気がします。

しかしながら、それはそういった類のものではないことを、私自身の経験から今回は、お伝えしようかと思います。

確かに自由への道、帰還への道に入ると、人はこの爆発という現象を避けては通れないのかもしれません。それほど、よく言及されているようです。

先日のテキストでも触れたように、ニサルガダッタ・マハラジでさえ言及していますので。

・思い出すことの例 ~ハクとかぐや姫~

自分で爆発を起こすことは出来ません。
これは、私たちが完璧に知らないといけないことです。

ギブアップの会では、これを何度も何度も繰り返して皆さんにお伝えしていますし、これが当たり前のように定着しなければいけません。

そのレベルになることで、いつの間にか、自尊心やうぬぼれという最大の敵の一つを敵ですらない、攻略する必要もなく、攻撃する必要もない、何の影響もないところにまで昇れるようになるからです。

さて。

爆発を自分の力だけで招くことも、遠ざけることも出来ませんが、それは恐れる”もの”ではありません。

経験を通して言える事は、たぶん、あなたが爆発を経験したとしても、たぶん…
気づけません。

なぜなら、爆発という言葉からあなたが連想するのは、”もの”の性質だからです。スピリットの、神の性質をまだあなたは完全に思い出せてないがゆえに、それに触れても知覚の対象外であるがゆえに、気づけないのです。

爆発が起こって

「あぁ、これが爆発だ!」

というようなことには、たぶんならないでしょう。
テキストでは、爆発がどのような性質であるのかについて言及していますが、それでも気づけないかもしれません。

たぶん、ずっと後になって、

「あぁ! あれが私にとっての爆発だったんだ!!
あのときは、全然気づけなかったけど、今なら、それがわかる。
いや、もう完全にそれだった!!」

という具合になるでしょう。

なぜこういうかといえば、私自身がそうだったからです。
最初にこれが起こった当時、私はまさか爆発を経験していただなんて、思いもしませんでした。木っ端微塵になりましたが。

爆発という単語は、実は知っていました。
けれども、私が当時思い描いていた”もの”とは全然違いました。
なぜなら、所詮、イメージに過ぎなかったからです。
それほど、間違ったエゴは頼りにならないのです。

私の場合、まさかそんなところを通り抜けているだなんて、全く知りませんでした。

ですので、今、自分自身に爆発が起こっていないからといって、気にする必要は全くないのです。あるいは、それを恐れる必要も全くないのです。
人によっては、このようにもう既にそれを経験してしまっている場合すらあるからです。

この聖なる爆発は、聖なる存在ゆえに、あなたを傷つけません。
ここが、間違ったエゴが作り出したモノとしての爆弾と全く違うところです。

一つ、申し訳ないと思うのは、”たぶん” という言葉や ”でしょう” という言葉を使ってしまっているところです。
これは、一人一人のプロセスを一括りにして、こうだ、と言えないからです。

神は、あまりにも多彩であり多才です。

とりわけ、体験やプロセスの具体性については、こういう描写になってしまいます。ただし、どうなるか?たとえば、目覚めが起こると、どうなるか?
どのようなレベルになるのか?という事に関しては、かなりはっきりしています。そういう場合については、~でしょう、や、たぶん という言葉ではなく、です。というはっきりとした表現を用いています。

私自身、でしょう、だとか、かもしれない、という表現によって、ずいぶんと混乱し傷ついてきたため、なるべく曖昧な表現は控えているのですが、これが今の所の精一杯ということで、どうかご容赦いただきたいと思います。

【レベル】:ゴールドクラス