☆魂の闇夜は、なぜ楽しみではなく、災難なのか?

では、なぜこのように挫折、苦難どころではないイベントが次から次に押し寄せてくるのでしょうか?

なぜ、楽しい事ばかりが起きてこないのでしょうか?
楽しい事、ワクワクする事の連続の結果、魂の闇夜が終わればいいのではないでしょうか?

なぜ、魂はそんな尋常ではない災難を押しつけてくるのでしょうか?

その答えは、私たちが楽しい事やワクワクする事と思っていることは、大体、根本的に間違っているからです。
私たちが一般的に楽しいと思っている事やワクワクする事は、常に分離の結果としての成果物を求めているからです。それは、すなわち幻想を現実として認識し続けたい、という間違ったエゴの希求だからです。

これは目覚めれば、グランドピクチャーを観た後であれば、それがまざまざとわかるようになります。
これは、それらを非難しているのでも、否定しているのでもなく、単なる観察の結果です。

魂の闇夜が始まると、この世界で一般的に楽しいと思われることに、全く楽しさをどんどん見出せなくなっていきます。

ですので、つまり、かつて楽しいと思っていた事が楽しくなく、どこを見渡しても希望も感じられなくなっているので、当人は、とてつもない虚しさ、絶望感を感じるようになってしまうのです。

だからこそ、闇夜という言葉が当てはめられるのです。

また、楽しさも希望も見い出せないだけでなく、とんでもない災難や挫折が襲い掛かってくることもあります。

では、それは一体、何のために起こるのでしょうか?

それは、私たちが頑なに信じ込んでいる常識を壊さなければいけないからです。
私たちは、すでにとてつもないほど高慢チキになっていることに気づけません。
高慢チキがデフォルトになっていれば、それが決定的なほど間違っているとは気づけないのです。

これは、例えば足首が折れて曲がっているのに、折れてないと思いこんでいて、歩き回っている人のようなものです。
これは、誰もが見るに堪えない光景なのではないでしょうか。
あまりに悲惨で目を背けたくならないでしょうか。
まったく自然ではないですから。

しかしながら、強固に築き上げられたこの信じ込んでいる常識という構造物を壊すには、人によって一度や二度の災難ではびくともしないのです。
ですから、何度もそれらはやって来るのです。
自分の常識が壊れるまで。

あなたが絶対に認めない、認めたくない存在を認めるまで。
あなたにとっての常識、当たり前の力が実はインチキなのではないか、という疑いがあなたに起こるまで。

(つづく…)