さて。
では、この方舟は本当に実在していたのでしょうか?

答えは、イエスです。

確かに、私は宗教的なバックボーンは何もありませんし、他人から認められた科学的な博士号は持っていません。

けれども、私にはよくわかるのです。
私にとっては、このノアの方舟であろうが、かぐや姫の物語であろうが、ロード・オブ・ザ・リングであろうが、全く同じものしか見えません。

全部、同じことを言っていることしか、私にはわかりません。
私にとっては、全て同じことです。

これらはすべて時代が違いますが、同じです。
時間は関係ありません。
時間が関係しているのなら、それは完全に偽りです。

問題は、時ではありません。

では、このノアの方舟は本当にあったといえるのは、なぜでしょうか?

この話の主要なポイントは、物としての船ではありません。
物質的な船を探し回ること自体、その人がいかに盲目かを現わしています。

ここで言っている船とは、単なる象徴です。
物質的な船があったかどうかなんてことは、問題ではないのです。

もし物質的な船を探すのなら、その人は物に救いを求めている、ということを暗に語っているのです。わかりますか?
その人は、物質しか目に入らない為、完全に盲目なのです。
わかっているつもりでも、つもりであって、わかっていません。

だから、どこを探しても見つからないのです。
見つけたとしても、必ずどこからか、反論が沸き立つのです。
なぜって、物自体に救いがあるわけではないから。
探すことに目的があるのであって、見つけることはルール違反なのです。
ずっと同じ場所を苦しんでループしていろ、というのがこの世界のルールです。

もし物に本当に救いの力があるのなら、世界はとっくに平和です。
どの存在も苦しむ必要も、苦痛を感じる必要も、恐れを感じる必要も、さらに死ぬ必要もありません。物が救ってくれるから。

けれど、何千年経とうと、物は物です。
いまのところ、これらの根本的な諸問題に対して、何の実行力も発揮していません。ですので、物には何の救いの力も、解決の力もないのです。
iphoneがあなたから死を取り去ってくれるわけではありません。
見つづけていれば、ただ目の病気になるだけです。
間違えないように。w

さて。
では、ノアの方舟とは一体何なのでしょうか?

方舟が物としてではなく、シンボルとして使われているのなら、それは何のシンボルなのでしょうか?

(つづく…)

【レベル】:クリアクラス~ユニティクラス