さて。

ですから、王は、翁に対し「幼き者よ」というのは当たり前のことなのです。
もちろん翁は、自分が何を言われているかもさっぱりわからないでしょう。
そして、わからないまま苦しんで死んでいくのです。
しかし、なぜ彼は苦しみながら死ななければならないのでしょうか?

実際、翁や媼の願いはあえなく却下され、かぐや姫が去っていくのを嘆くことしかできませんでした。

彼女が去った後、彼らは以前と同じような毎日を過ごせたのでしょうか?
間違いなく、否、です。

翁にとっては、彼女がある意味、全てだったのです。
自分の生活の中心がなくなってしまった後、彼に残されたものは、一体何なのでしょうか?

大きな屋敷が、彼の徹底的な喪失感を埋めることが出来たでしょうか?
付き合いのある雅な仲間が、彼のその喪失感を埋めることが出来たでしょうか?

もしできたのなら、かぐや姫がいた時も、たとえば屋敷は翁たちに十分に役に立っていたはずです。しかし、そんなことはありませんでした。

そして一番肝心な時、それらの”物”は翁たちを支えてはくれなかったのです。
であるなら、私達はなぜそれらに執着しようとするのでしょうか?
肝心な時に、何の役にも立たないものに。

では、一体私達は何に執着しなければいけないのか?
それは、明らかにわかることなのです。

また王は、彼女は罪を作ったがゆえに、翁の所に居た、ということを言っています。

ここは、この王の一連の発言は、非常に重要なポイントです。

私は、この罪と言う単語を幼いころからことさら嫌っていました。
人生のプログラムに宗教が全く入っていなかったため、この罪という言葉が何なのかもわかりませんでした。

罪と言うのは、宗教がそう言っているだけで、私はそれに関わりたくはなかったのです。あるいは、罪に敏感なのは、キリスト教だけなのではないかと思っていました。

「罪深い」

というような言葉を聞くたびに、バカなんじゃないかと思っていたのです。

しかし、違いました。違うのですね。
この罪というものは、私たちに、つまり人種や宗教の垣根を超えた途方もないほど深くに埋め込まれている爆弾のようなものだ、ということが後々やっとわかったのです。

さて、ではかぐや姫はどんな罪をおかしたというのでしょうか?
彼女は、

「罰として、私はここに下されたのです」

と語っている時、一体、何の罪に対する罰だったのでしょうか?

そう、そうですね。
もちろん、その罪とは、彼女が翁を富豪にしたわけでも、高貴の公達たちを振り回したことでもありません。
彼女が犯した罪とは、つまり、ここでの本当の意味は、この世界にただならぬ興味を持ってしまった、ということです。

彼女はこの世界に憧れましたが、それが意味することは、忘れて生きること、分離、バラバラな個人として生き、結果、穢れを徹底的に体験して生きる、ということです。

天の王国、月の世界から落っこちることは、忘れてしまった個人として生きることであり、けれども、彼女はそこにだいご味を感じたわけです。

そして、この分離の世界に憧れた代償として、当然、「ではそこで思うとおりに生きてみよ」、ということで、彼女はこれら一連の体験をし、やはり案の定、「もう帰りたい」と思ってしまったわけです。

天の存在にしてみたら、彼女があらゆる体験を通過し、やはり帰りたいと言うまで、彼らは待っているのです。
そう、待っているのです。

同様に、私たちが目覚めるまで、待ってくれているのです。
何も言わず。でも、見守ってくれているのです。

そうです、これは私達がどこかで必ず読んできたことではないでしょうか?
神の愛とは、何なのか?
スピリットの眼差しとはどんなものなのか?

まさしく、ここでも同じことを言っているわけです。

私たちは、その無条件で無制限な愛に触れた時、自分自身の本性を思い出すのです。簡単なように聞こえるかもしれませんが、こんなことは間違ったエゴ、個人には到底できない代物です。神、スピリット、途方もないマスターだけがこのことに対応できるのです。

なぜなら、間違ったエゴ、自分だと思っている自分というものは、忍耐力のかけらもなく、無条件ではなく、常に取引、交換を土台にしているからです。そして、取引や交換の正体は、何でしょうか?
それは、不安です。

愛は、不安の正反対の性質です。ですから、不安を土台にしている間違ったエゴが行うことは、常に結果として不安を導き出します。これこそが、間違ったエゴの性質です。ですから、愛と正反対にいる間違ったエゴ、自分だと思っている自分、すなわち個人が本当に人を導くことなどは、決して出来ないのです。

さて。
そこでここでのもう一つのポイントを見てみれば、翁たちは彼らに会ってもなお、やはり何も目覚めなかった、ということです。

彼らの心は、姫を失うことで満たされてしまっているからです。

だから、天の存在達に出逢ったことの意義にも目覚めることはありませんでした。

このようなわけで、私達は誰かを目覚めさせることは出来ないのです。
天の存在ですら、彼らを簡単に目覚めさせることができないのですから。

この世界の眠りは、それほどまでに強烈なものなのです。
まさしく、恐るべき世界です。

しかし、今、こうしてあなたは強烈な意志と共に、この文章を読んでいるのなら、正しいとか間違っている、という所を超えて、この文章を読んでいるのなら、あなたはまさしく、目覚めはじめた存在なのです。

その恐るべきヴェール、催眠のヴェールを破り、自らの本性を認識し始めているのです。

(つづく…)

【レベル】:クリアクラス~ユニティクラス