先日は、グループミーティングを行いましたが、幾人かの方から
「なんだか懐かしい感じがした。初めて会った人ばかりなのに」
「昔から知っていたような、懐かしいような、そんな気持ちがした」
「昔からの友人に会ったような気がした」
というような感想をいただきました。
今回だけではなく、実はこのような感想はかなり頻繁に頂戴していたりします。
初体面なのに、なんでこんなに懐かしく感じるんだろう?
面白いですよね。
初めて会った人ばかりなのに、なぜ懐かしく感じるのでしょうか?
聖なる集い、というのは、たぶんこういう感覚を伴うものなのかもしれません。
私たちが自分だと思っている自分を脇に置き、一なるものの元に相集うと、必然的にこのような感覚が呼び起こされます。
なぜなら、私たちが全体に還っているから。
分離という幻想は、ひと時でも忘れ、全体という実在性に心を開いている時、このような感覚、懐かしい、故郷のような、なぜか昔からずっと知っていた、という感覚に結びつくのですね。
「あぁ、なんか懐かしい。前からずっと知っていたような、そんな気がする」
このような感覚に繋がるとき、思い出して下さい。
その時、それを ”頭で考えて、呼び起こそうとしていない” ということを。
懐かしい、という ”存在状態” に ”即座になっている” ということを。
なにも「参加する事で、懐かしい感じがするようにするぞ」 と心に決めて、考えて実行したわけではなく、、既にそうなっていたことに気づいた、ということを。
であれば、私たちは何も苦労して生きる必要は、本来ない、ということを。
さて。
この、前から知っている、理由もないのに、つまり自分にはそのデータとなるもの(自分が知っている過去)に全く心当たりがないのに、なぜか懐かしい感じがするのは、自分の記憶ではなく、本当のあなたの記憶にアクセスしたからです。
かぐや姫の物語の歌を思い出して下さい。
それは、あなたが自分の本当の故郷を思い出し始めている証拠です。
そう、キーワードは、”思い出す(remember)” なのですね。
ここで起こった事は、あなたはいまや、バラバラとしての個人という夢ではなく、本当の家、本当に還るべき故郷を思い出し始めている、ということを意味しているのです。
初対面なのに、昔からの友人に会ったような気がする。
それは、皆さんが、分離、ばらばらな個人を見る事を止めているからです。
一時的にせよ。
人類、みな兄弟。
というようなメッセージがかつてありましたが、それはそういうことなのです。
今はまだ、この集いだけかもしれませんが、皆さんがこれから更に成長するに従い、全ての人に、そのような感覚を感じる事になるでしょう。
そして、人だけでなく、あらゆる全てに、それを感じる事になるでしょう。
懐かしさを感じるときは、愛の状態が喚起されている時です。
従って、それは本来の愛であり、神の愛と合一している、ということになります。
それはつまり、あなたが自分だと思っている自分の意志だけで生きているのではなく、神の意志と一つになって生きている、ということを意味します。
それが本当の合一状態です。
今回もまた、くどいぐらいに、あなたがいかに神なのか?
それをお伝えしましたが、結果として、皆さんは知らぬ間に、懐かしいという感覚を通して、それを理解した、ということになります。
皆さんは、きっと違うやり方で、それを望んだと思いますが。
それは、神を思い出し、神に触れ続ける、という意志を持てば、何が起こるのか?という結果が、実は皆さんに返されたわけです。ほんの数時間で。
これが、実はいわゆる奇跡ということになります。
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