サークルの彼方へ

ホワイトクラス 7 ~天職への切望~

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☆私は、本当は一体、何をすべきなのか?

人生で自分がやらなければいけないことは、何なのか?

ホワイトクラスの段階に入ると、自分の人生の意義を真剣に問い始めていきます。
自分の人生の意義に目覚め始めていくのです。

それまでは、単に生きていただけでした。
それは非常に表面的で氷の上を滑っているだけのような人生でした。

それまでは、やらなければいけない中で、自分がどう生きていくか、
というだけの人生でした。

☆眠った目覚めの人生

やらなければいけない、というのは社会が押し付けているものを何の疑いもなしに、ただただ盲目的に受け入れていくのです。

そこに何の疑問もありません。
そこに不平や不満はあっても、根本的な疑問をまず持ちません。
社会の信念体系を当たり前のものとして、それに沿って自分の人生を生きていっていました。

当たり前のように進学し、就職し、恋人を作り、結婚し、子供を生み、仕事を続けていき、そして年老いていき、死んでいきます。

これらが当たり前であると社会では決まっている、そういう信念体系なので、自分もそれに従うのが当たり前の人生でした。

☆眠りから目覚め始める時に、起こること

しかしながら、今やもうそれを受け入れる事は出来ません。

自分が何の為に生まれてきたのか?何をすべきなのか?
本当に自分がやりたいことは、何なのか?

それを真剣に問い始めます。

けれども、これは困った状況を生み出します。

なぜなら、社会が生み出している仕事の中には、その答えがないからです。
ですので、いわゆる社会人になった後で、この段階に入ってしまうと、非常に苦しい状況に追い込まれます。
自分が就いている仕事が全くふさわしく感じなくなるからです。

☆質の違い

それまで不平不満があってもやって来れた仕事が、突然本当に出来なくなるかもしれません。
なぜこんなことをやり続けているのか?
もっと大切な事、もっと肝心な事をやらなければいけないのではないか?
と衝き動かされるでしょう。

そして、自分がやるべき仕事、天職を求めて旅に出るのです。

ここで言及している、自分が本当にやるべき仕事というものは、一般に言われている、考えられているものとは、質が違います。

では、どう質が違うのでしょうか?

☆抽象へ

それは、抽象に向かって歩を進め始める、ということです。

たとえば、医療の道を歩んで、沢山の人を助けるとか、政治の道に進んで、沢山の人を助けるとか、教育の道に進んで、沢山の人の為になることをしたいとか、発展していない国に行って、沢山の人を助けることが私の使命だとか。

このような生き方は、それはそれで大変結構なことです。
何も間違っている事は、ありません。
事実、それで助けられる方は沢山いるでしょうし、使命を感じて、自分の人生を進んでいくことでしょう。

これは、確かに天職の一つの形です。
その方の脚本には、そのような事が記されており、その通りに事は進んでいきます。

しかしながら、私がここで触れていることは、このようなものとは違います。

☆サイズの合わない服を着るようなもの

特徴的な事は、自分が本当にやるべきことに触れてしまうと、例えば、医療の道に進んでいたとしても、それが起こってしまえば、今まで自分が就いていた職を簡単に捨ててしまうことになるかもしれない、という事なのです。

「何だかは、さっぱりわからない。
だけど、どうしてもこの仕事がふさわしく感じないんだ。
さっぱりわからないけれども、確実にノックを感じる。
それが在ることを感じる。

もっと何か違う本当のことをやらなければいけない。
君には、それはわからないかもしれない。そして、それを伝える言葉を私は持っていない。でも、止められないんだ。

もっと自分にふさわしいことをしなければいけない。
それが何なのかは、全くわからないけれど、この仕事でないことは確かなんだ。

だから、もうふさわしくないことは辞めなければいけない。
それだけは、確実にわかるんだ。」

☆誰も止められない

これが、本当に天職を求めることの症状の一つです。
自分が本当は何をしなければいけないのか?それに向かって歩いていく時に起こる症状の一つです。

家族や友人、恋人など、周囲の人々は、あなたのことを全く理解できないでしょう。
なぜなら、あなたは知らぬ間に、彼らよりはるかに進歩してしまっているからです。

彼らにわかることは、「私は悲しい」という自分の不幸さを感じるだけです。
あなたのことは…。あなたがどこに行こうとしているのかについては、全く関心がありません。彼らに関心があるのは、自分の状態だけです。

これが起こってしまったのなら、もう誰もあなたを止めることが出来ません。
あなたは、抽象に向かって歩き始めてしまったのです。

☆仏陀の例

仏陀について、よく語られる有名な話があります。

仏陀は、ある国の王子であらゆる富をもっていたそうです。
衣食住には何の問題もなく、眠りにつくときには、隣に美しい女性もいたそうです。
彼は王子でしたから、ゆくゆく王の地位を引き継ぐことになっていたのでしょう。
全ては、約束されていたのです。
けれども、彼は、その全てを捨てて、出て行ってしまったそうです。

彼は、本当のことを知りたかったのでしょう。
彼は、抽象に向けて歩き始めてしまったのです。

王になって、国を統治していくのは、素晴らしい仕事です。
それを拒む人がいるのでしょうか?
王になりたくてもなれない人は、数え切れないくらいいるというのに…。

それでも、彼は約束された全てを捨てて出て行ってしまったというのです。

この話は、実に全てを物語ってくれています。

つまり、何が起こるのかを。

あなたの家族は、仏陀についての情報を、あなたより持っているかもしれません。
けれども、あなたが仏陀と同じ道を歩んでいるとは、思いもしません。
それは準備が出来た尊い存在である証明なのですが、誰も気がつきません。

つまり、どれだけ知識や情報を持っていても、目の前で起こっている事柄の本質を見抜くことが出来ない、ということをよりよく示しているのです。

あなたは、ついに自分が本当にやるべきことが何なのかを知る旅に出始めたのです。
それは、いばらの道で、困難しかないでしょう。
抽象というものは、ひどく非情なもので、それでもあなたをそこにおびき寄せるのです。

これが、ここで言及している、天職について、自分が本当にすべき事は何なのかを見つけ出す旅にでることについての質です。

☆キャッチコピーとしての天職

社会の中に入り込み、街を歩いていると、沢山の求人広告を見ます。

「天職がここにある」とか、「これが君のすべき仕事だ」

などといったキャッチコピーが沢山あります。

最初、私はこれが本当だと思っていたのです。
誰もが天職を探しているから、こういうキャッチコピーがあるのだと。

誰もが天職を探すことに真剣になっていて、その結果として、沢山の職種、企業があって、それぞれが納得して、そこで働いていると思っていたのです。

☆道を見出していく

それには、このような理由があったからです。

幼稚園の時に、「私は、いったい誰なのか?」という質問が起こって以来、その答えをずっと探していました。

けれども、小学生になっても、中学生になっても、高校生になっても答えは見つからないままでした。

まったく答えへの希望が見つからない中、私は、たぶん自分を生きれば、その答えが見つかるのではないか?という推測をしました。

自分が何なのかはわからない。
けれども、自分を生きて、自分を実現していくことで、その答えがみつかるかも
しれない。という自分なりの道を見つけ出しました。

私は、私なりに必死に生きてみました。
そこであるものに出会ったのです。

大学受験を控える中、私は世界史を専攻しました。
その中で、こういうことが参考書に載っていました。

☆鈴の音が鳴る

正確に覚えていないのですが、それには、

”人は、天職に出会うと鈴の音が鳴る”
と書いてあったのです。

これは、おそらく中世のヨーロッパの天職概念の項目で出てきたものだったと思います。それが、カルヴァンなのか、ルターなのか、マックス・ヴェーバーなのかは、忘れてしまいましたが、この事に、私は強烈に惹きつけられました。

直感的に、このことが本当のことを言っていると思ったのです。

私は、自分が誰なのかを探していました。
そして、自分を実現すれば、きっとその答えが見つかると信じきっていました。

では、どうすれば自分を実現できるのか?と問いかけました。
当時、私は高校生で受験勉強に明け暮れていました。

☆強烈な思い込み

「今できること、それは自分の壁を乗り越えて、希望の偏差値を勝ち取り、希望する大学に入ることが、自分を生きることだ。そして、大学でも自分を実現することを忘れないでいよう。大学が終われば、今度は社会人として働かなければいけない。

そここそが問題だ。天職を見つけることで、私は自分を実現できるはずだ。
なぜなら、この世界では仕事がすべてだからだ。
そして、自分を実現できれば、きっと私が誰なのかが、わかるのではないか?」

私は、このように一人で目標を立てたのです。
信じて努力をし、諦めないでいつづければ、いつか、絶対に鈴の音が鳴ることを信じていたのです。

この思い込みは、私をとんでもなく苦しい状況に追い込みました。
なぜなら私はすべての人が、それを実行していると思い込んでいたからです。

私は、自分のいわゆる”メリット”を完全に度外視していたのです。
メリットは天職を見つけることであったのですが、それはリクルート活動の中にはなかったのです。

☆リクルート活動

大学生になった後、学生の中では定番となっている就職活動において、私は本当に残念な人でした。
仲間達は、いろいろな企業からどんどん内定をもらっていました。

私は天職を見つけようとしていて、必死でした。
それまでの3年間、必死になっていたにも関わらず、天職を見つけられなかったのです。

どんどん内定をもらっている仲間達を見て、私は感心したものです。

彼らはすごい。自分がやるべき仕事をはっきりと知っている。
それなのに、私は未だにわからない。
今まで一緒に過ごしていたのに、彼らはいつ自分がやるべき仕事に気付いたのだろう?

私はそういう風に、悶々としていたのです。

けれども、ずっと後になって、それはそうではないことがわかりました。
たいていの人は、自分の天職、自分がやるべき本当のことなんて気にしていないことがわかりました。

彼らが気にしていた事は、いかに自分が有利に生きていくかだけでした。
有利というのは、他人よりよい企業、よりよい条件で働く事です。
自分が何をすべきか?などということには、あまり関心がなく、ただリクルート活動というものがあって、それは期末テストと同じで、やるべきことになっている。
やるべきことになっているから、とにかく他人より有利に事を進めていかなければいけない。

というそれだけの理由だったのです!!
もちろん、そうじゃない、と主張する方もいるかもしれません。

けれども、大抵は、「こんなこと、やってみたいな」とか、「こういう企業に入ったら、楽しそうだな」

というレベルが、ほとんどだったのです。
恐らくそれは、自分自身をもっと素晴らしい何かに変えることができる、という動機ではないでしょうか?

くどいようですが、それはそれで結構なことです。

しかしながら、ホワイトクラスの段階に入ると起こることは、そのような浅い動機では動かなくなってしまう、ということなのです。

もっといい未来にする、いい将来にする、という自分の夢を描くことではなくて、その自分というそのものに、強烈なほど興味を持つのです。

ですから、天職を求めることも、自分を素晴らしくするものではなくて、真実を知ろうとする一助として、天職を探し出すのです。

自分が人生で本当にすべきことは、何なのか?

もしあなたにこの問いがやってきたのであれば、それは本当に素晴らしいことです。

それは、あなたが幻想から抜け出す用意が整ってきていることを示しているのです。
私が観察してきた中では、そのような方は、ほとんどいらっしゃいませんでした。
もちろん、そのような方にめぐり合えたことはありますが、それでも、本当に数えるくらいしかいらっしゃいませんでした。

千人に一人、いればいいくらいかもしれません。

問題なのは、そのような理解、進歩についていける人が、周りにはまるでいないだろう。ということです。
あなたが、その道すじで困っていても、誰もあなたを助けることができません。
あなたを導いたり、ガイドしてくれる存在は恐らくいないでしょう。

あなたはそこで、絶望的なまでの孤独を感じるかもしれません。

ギブアップの会は、そこの部分をサポートするためのものです。
そして、このWeb講義も、あなたの理解の一助として行っているのです。

私の場合は、当時、誰も私がいる現在地を教えてくれはしませんでした。
それでも、それは問題なかったのです。

なぜなら、私は、そのことに全く気付かなかったのですから。
つまり、誰もが天職を求めているという錯覚に陥っていて、自分だけがわかっていない、と思い込んでいたのですから。

ですので、孤独を感じるというよりむしろ、もっともっと努力して探し出さなければいけない、みんなに追いつかなければいけない、と必死だっただけなのです。

なんと愚かだったのでしょうか!

☆ただただ純粋に…

けれども、もし私がそのことに気付いていたとしても、彼らのようには振舞えなかったでしょう。
私にとっては、人生は他人より優位、有利な状況、常に勝っていくことではなくて、ただただ本当のことが知りたかった、自分が何者なのかを知りたかっただけだからです。

他人に勝ち続けること、有利であり続けることで、本当のことを知ることが出来たのなら、私は構わずそうしていたでしょう。
しかしながら、私はそうしませんでした。
他人より有利であっても、本当の事は知れなかったからです。
経験上、それらが有効な切符でないことは明らかだったのです。

「キミの探している天職がここにある」

という広告のキャッチコピーを見るたびに、私は感心していのたですが、もちろん、それは嘘でした。

けれども、彼らは、なぜそこに天職などというキャッチコピーを使うのでしょうか?

☆イメージの奴隷になる

なぜなら、それは天職という言葉の持つ響きが本当であることを知っているからではないでしょうか?

その言葉は、真実の響きを持っています。
そうでなければ、使わないでしょう。

その言葉は、人の何かを確実に掴むから、彼らは使っているのです。
ただ、問題は、イメージの奴隷にする為に使っていることです。
使っている本人すら、自分が何を言っているのか、わかっていません。
ただ、それが有効だとわかるから、使っているだけです。

そして、誰もが天職というコピーを見ても、何も感じないのです。
彼らには興味がないのです。

けれども、自分が本当に何をすべきか?本当の仕事とは、何なのか?何の為に生まれてきたのか?ということが、生きていくことの中で最重要事項な人にとっては、そうではありません。

世の中のほとんど大半は、自分が何をしているのか?
本当にすべきことは、何なのか?ということに関心はないようです。

それよりも、よりよい家を持つこと、よりよい車を持つこと、よりよいパートナーを手に入れること、よりよい企業、仕事に就くこと、よりよい役職につくこと、もっとお金を持つこと、よりよい学歴を手に入れること、よりよい自分になること。
というこれらのものをずっとずっと追い求めて生きているのです。

たいていの人は、程度の差こそあれ、このような生き方をしているのです。

☆天職を探すことは、愚か者のすること

こういうわけで、天職なんて探す事は愚か者のすることだ。
という信念が根付いているのです。

もし面接でそんなことを言い出そうものなら、失笑されるのではないでしょうか?
もし仕事仲間とランチタイムにそんなことを持ち出そうものなら、空気が読めない奴ということになるのではないでしょうか。

それは、天職なんて絵空事でバカバカしいこと、無意味なことだとされているからでしょう。

自分が何の為に生まれてきたのか?何をすべきか?
自分が本当にやらなければいけないことは、何なのか?

ということを問いかけること自体、答えがないので、バカバカしいこととされているのです。

この社会の信念としては、自分探しや天職探しは、失笑の種になっています。
そんなもの、架空なものを追いかける前に、社会人としてやるべきことがあるはずだ。
とされています。
そんなものを追いかけるのは、大人になりきれないロマンチストがやることだ、
という通念になっているようです。

世界の進歩レベルは、このような段階にあるのです。

けれども、私が経験していえることをはっきりと話しましょう。

☆天職はある。だから諦めてはいけない

それは、やるべき価値があることです。

天職というものは、本当にあるのです。
あなたが本当にすべきこと、というものは、本当にあるのです。

自分を探す事は、間違っていません。
自分を探せば、探し続けていけば、必ず答えが”やってくる”のです。

それは、本当に探すに値することです。

いいでしょうか?
私は、ここで概念について話しているのではありません。

天職、つまり自分がこの人生でしなければいけない本当の仕事は、実はあるのです。
私は、それを経験してわかりました。

ですので、どうか諦めないでください。

あなたがもし、天職や自分がやるべき本当の仕事を探していて、あなたの周りの誰もがわかってくれなくても、私はそれを理解できます。

なぜなら、私も誰からも理解されなかったから。
その圧倒的なまでの孤独感について、私はわかります。

あなたがそれを真剣に望んでいるのなら、それは本当に素晴らしいことですし、
絶対に諦めてはいけないものなのです。

☆鈴の音が鳴る

鈴の音は、本当に鳴るのです。
私自身の経験から言えることは、あなたがついにわかる用意が整い、花開いたのなら、唐突に鈴の音は鳴るのです。

私は、それを実際に聴きました。

そして鈴の音が鳴った時、
私と同じように、あなたは、

「これが本当に私がしたかった、そしてずっとし続けようとしてきた仕事なんだ!!」

ということが、”直接”わかるのです。

あなたは、決して間違っていなかったのです!!!

☆耳を貸してはいけない

「天職なんてそんなもの探したって、何にもならない」

なんて、シニカルに、かっこよく構えてはいけません。
本当に探したことがない人が、こういうことを言うのです。
ですので、こういうことをいう人の言葉に耳を貸してはいけません。

万一、嘘だと思うのなら、その人に訊いてみて下さい。
なぜ何にもならないと知っているのか?
説明してもらってください。
彼らの答えは、実に表面的で他人から借りた概念で説明するか、そのまま逃げていってしまうでしょう。

☆天職は、並べられている職種の中にはない

ただ、それはどこかの企業の中や職種の中にあるのではありません。
これは、重要なポイントです。

もしあなたがそれを見つけることが出来たのなら、
あなたはすさまじくびっくりするでしょう。

☆何物にも代えがたい瞬間

そして、それを追い求めて、他人からバカにされながらも、相手にされない日々が続いてきたとしても、それを追い求めていて、本当に良かった、と思える瞬間がやってきます。
それは何物にも代えがたい瞬間です。

嘘ではありません。

経験したからこそ、こう言えるのです。

あなたは、臆病者ではないのです。
あなたに準備が出来たから、それを見出そうとしているのです。

あなたがやっている事は、あなた自身のみならず、
全ての存在への光になっていることを忘れないで下さい。

第7回目の内容は、天職を探す、ということでした。
ここで、少し振り返ってみましょう。

☆どのように起こるか

まず、それは自分がこの人生で、何か本当に大切なことをしなければならない、
という不意の感覚に襲われることから、始まります。

次に、何をしても、「これは違う」という感覚に襲われ、ずっとそれを探し求めていくことになるでしょう。

☆注意点

注意点は、このプロセスが始まったのなら、いろいろなものを失う羽目になる、
ということです。

言ってみれば、天職を探す、というものも、一つの浄化なのです。

☆対策

ここで、私がお伝えしたいのは、ともかく自分がすべきことを社会の一般的な仕事の中に探してはいけない、ということです。

逆に言えば、もし既に職に就いているのなら、その職を辞める必要はない、ということですし、職に就いていないのなら、自分がやりたいことをやればいいのです。

私自身の例をあげれば、私は頑固でした。そういう風にプログラミングされていました。
ですので、自分の頑固さから、幾度となく窮地に陥りました。

自分が人生で本当にやるべきことは、特定の仕事のなかにはない、ということを
覚えておいてください。
ですので、

特定の仕事を探さないでください。
そして、どんな仕事にも期待してはいけません

☆終わりではない

あなたが諦めなければ、あなたは天職と、自分が本当にすべきこと、というものに出会うことになるでしょう。

ただ、もしそれがわかったり、鈴の音が鳴ったとしても、それで終わりではないことも覚えておいて下さい。

それで終わりではありません。

鈴の音が聴こえ、あなたなりのベストを尽くしたのなら、すぐに違う仕事に呼ばれるでしょう。

その時には、もうあなたは天職や自分がすべき仕事というものに、とらわれなくなっています。

言ってみれば、天職や自分がすべきこと、というものも、一つの執着なのです。とても進歩した状態ではありますが、それでも、それは執着に変わりありません。

ただ、あなたが真剣にその正体を見破ろうとして、事実見破ったことで、あなたは、その牢獄から解放される、というわけです。

☆足を引っ張りながら、助けを求めている

私たちが歩んでいる道のりは、どう見ても困難極まりないものです。

あなたと関わる人のほとんどは、あなたを陥れたり、バカにしたり、足を引っ張ることしかしないでしょう。

しかしながら、彼らはそのようなことをしながら、なんとあなたから学んでいるのです!!なんということでしょうか!?

誰もあなたに協力したり、助けたりせず、むしろどん底に落としながら、それでもあなたに期待しているのです。

この道を歩む方が、いわゆるダークサイドに落ちてしまうのは、無理もないことなのです。そして、ダークサイドに落ちてしまったのなら、ここぞとばかりに、彼らは非難するのです。

これが、この世界の悲惨とも言えるからくりです。

それでもあなたは、あなた自身の道を進んでいくでしょう。

ですので、私は、心からそれに感謝し、励ましたいのです

以上で、第7回の講義を終わります。

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