☆相手にばかり求める

実現しない、覚醒しないという場合の理由の一つは、相手にばかり求めることがあげられます。

「なぜ?」「どうして?」

と質問するのはいいのですが、答えを与えられ、いざ自分自身で勇気を持ってやらなければいけないのに、それをやらないのですね。

答えだけもらって、それでわかったつもりになっておしまい、という人は、非常に多くいます。私が見てきた限りでは。
こういう人は、とにかく概念だけで満足してしまう人です。

ですので、やたら本を読みあさったりするのですが、あさる だけで終えてしまいます。ひっかきまわして、ぐちゃぐちゃになって、それで終了、ということです。

これは、事実に直面するのを巧妙に避ける間違ったエゴのやり口の一つです。

そして当然ですが、このレベルでは、そういうことをしている自分自身に気づきません。何をやっているか?実は、わかっていないのです。

やらなければいけない、などと言われると、「行為者はいないから」などというデータだけを引っ張り出して、それで終わってしまいます。

そして、最終的に、何も素晴らしいことは私には起こらなかった。
といって、悲嘆にくれ、恨みがつのるだけの被害者としての人生になります。
これが何を意味しているかといえば、データは役に立たなかった、ということです。データは、役に立ちません。概念は、概念です。過去は、過去です。それだけです。

これは、相手にばかり頼り、いつの間にかしがみつき、助けてくれる相手を道連れにしようとする非常にあらっぽいレベルにいる存在です。

私が見てきた限りでは、こういう人は、何も悪気があってそうしているわけではありません。意図的にではありませんが、でも非常に狡猾です。

素早く進歩していく、進化していく存在は、自ら責任をとって進んでいこうとします。けれど、進歩がとてつもなく遅い存在は、とにかく他人に頼ります。神には頼りません。自分でもなく、とにかく他人にべったりと寄りかかっていくだけです。さらに、根本的に他人を信用していないのではなく、できないので、結局、他人に裏切られたと思い込み、恨みと辛みと妬みを抱えながら生きていくことになります。

この原因は、やはり恐れているからです。
結果を疑っている(自分では何も出来ないし、やった結果、出来ないのを見る事が堪えられない)ので、本気では何も実践しないのです。

ですので、分離した結果、恐れが発生し、そして恐れているから始終疑うという重い病が、このような状況をもたらす、ということは、ここでも明白に見て取れます。

このように始終、相手にばかり求め、頼り、しがみついているのは、純粋なのか?素直なのか?もうおわかりになるはずです。

(つづく…)