”誰も、本当に自分が悪いと思っている事はできない。誰もが、自分が正しいと思っている事をやっている”
『神との対話』に書いてあったこの概念に初めて触れた時、強烈な衝撃を受けました。
だから、例えばヒットラーはユダヤ人の虐殺を行ったそうですが、彼は自分が悪い事をしているとは思っていなかった。彼は、自分が一貫して正しい行いをしていると思っていた、ということを知った時、「そんなバカな」という想い以上に、このメッセージの的確さに感じ入りました。
私は、これを概念として終わらせるつもりはなく、このことをあらゆる人に適用していってみました。その結果、確かにこの通りだったのです!!
この時点でもうそれは概念ではなく、私にとっては事実となっていました。
どんなに悪いことであっても、当人からしてみれば、それは悪くなく、正しい事をやっていると信じ込んでいることが見えてきたのです。
そうして見たとき、私はもう誰のことも責められなくなりました。
なぜって、私が悪いと思っている基準と、彼らの基準がそもそも異なり、彼らは彼らの正しさの中に生きていることがつかめたからです。
この調査を行い続ける事によって、人は被害者、犠牲者のドラマから抜け出す事が出来ます。
そして、本当の責任が何なのかを知って、その責任をとっていく人生に転換していくのです。
そして、誰もが正しい事をやっていると思って生きているのなら、一体どこに罪が必要だと言うのでしょうか?
そういった意味で、この世界は完全に常軌を逸しています。
つまり、本来、罪がないところに、罪をきせるわけですから。
こんな地獄があるのでしょうか?
正しい事をやっていた、悪い事ではないと思っているところに、罪という重荷を負わせるこの世界は、一体何なのでしょうか?
翁は、翁のレベルで確かに正しい生き方をしていたのです。
彼は、彼なりのレベルで、いえ、彼の見たいレベルで彼女を見ていたのです。
だから、彼女が彼が望んでいる以外に何を想っていたのか?なんていうことは決して思いつきません。
彼は、ただただ彼の考え方を彼女に押し付けるだけだったのです。
彼は、自分の考え方を押し付けるがゆえに、彼女に問いただしたのです。
「一体、何があったのか?どうしてそんなに悲しい顔をしているのか?こんなにも愛情を注いでいるにもかかわらず…」
本当に、地獄とはこのようなことを言うのです。
ミスマッチ、などという安易なフレーズで片付くものではありません。
彼女は、彼のその愛情が重荷だったはずなのです。
その全く一方通行的な愛情は、本当の愛なんかではなく、単なる間違ったエゴの押しつけなのですから。
彼は、自分が絶対に正しいと思い込んでいるがゆえに、彼女を非難するのです。
「私が間違っているはずがない。間違っているのは、こんなにも愛情を注いでいるにもかかわらず、そんな態度をする姫が悪いんだ。お前が悪いんだ。私をこんなにも心配させるなんて、お前が悪い」
彼が言っている事は、こういうことです。
一方、かぐや姫は、何を言っても無駄であること、彼らが決して理解できない遥か上位のレベルから、それを受け入れるしかないのです。
なぜなら、彼は眠っており、確かに彼のレベルからなら、彼は正しい事をしているがゆえに、責める事なんて出来ないからです。
彼らは、彼女を責めまくりますが。
だから、あなたもまた、そのような状況に陥っているのです。
あなたも、誰も責める事は出来ません。
ただ、悲惨な事は、あなたは責めれないが、あなたは責められ、罵られる、ということです。彼らは眠っているがゆえに、何の理解もしていないからです。これが、私が経験してきたことであり、あなたも経験していることなのです。
このようなことが、もう何千年、何万年と続いているのです。
ですので、世界は救えません。
それは、完全に間違っています。
世界をよりよい方向に変えていく、というのは、なんだか素敵な考え方ですが、実際はそうはなりません。
実際、翁は何の成長もみせることはありませんでした。
そして、今でも何も変わっていません。
私達が悟らなければいけない事は、世界を変えたり救うことではなくて、世界を完全に諦めることです。
世界にどんな形でも力を明け渡すことなく、回収し、本来の状態に戻る事なのです。それが、この物語で語られていることです。
だから、逆に言えば、あなたは世界をまだ完全には諦め切れてないがゆえに、この世界を、この夢を見ているだけなのだ、ということです。
では、あなたは一体、何を諦め切れないのでしょうか?
そこが問題です。
そこが鍵です。
そして、その鍵は、あなたにしかわかりません。
どの本にも書いてありません。
よって、あなたはあなたに頼る事しかできないのです。
ええ、これもまた地獄ですね。
(つづく…)
【レベル】:ゴールドクラス~ユニティクラス