☆最も難しいことは、”持ち続けること”

ホワイトクラスの段階では、まだ直線的な人生です。

心は完全に開かれておらず、ただ強烈な理想というスイッチがどういうわけか本人に入ってしまい、当の本人は、ただその理想をかなえるために、猪突猛進して生きていく、という段階です。

その典型的な例をあげて、それが本当かどうかを見てみました。

「ACミランのようなビッククラブに、俺は入るんだ!」

という信念を持ち続けることが、本当になってしまう例を見てみました。

その信念を持つことより、持ち続けることがいかに難しいか?
それが全てです。

持ち続けることは、非常に難しいのです。

それが、誰もなしえたことのない、常識はずれのことを目標にした場合はなおさらです。

なぜなら、誰も彼もが、足を引っ張ろうとするからです。
最悪なことに、当人たちは、まさか自分が足を引っ張っているとは思っていません。気づくことは、できないのです。

☆”気づく”ということが、どれだけ難しいか

言ってみれば、ゾンビが自分自身のことをゾンビだと気づけないようなものなのです。

ゾンビが映画の中で、

「ちょっと待てよ。なんで私は、他の人に喰いつこうとしているんだ?
あれ?これは、あまり素敵な生き方じゃないぞ!?
こんな生き方より、もっと違う生き方はないのだろうか?」

と、ふと立ち止まり、前に突き出した両手を降ろすことは、一体あったでしょうか?

または、それはありえることでしょうが、滅多に起こることではないのではないでしょうか?

これが、気づくことです。
これが、個人でいることをおかしいと気づくことです。

(つづく…)