自分が他人にどう見てほしいのか? というイメージを強制的に捨てさせられてしまうのです。
なぜなら、ほとんどの人は、自分が体だと思っているので、他人にどう見て欲しいのか?は、体をどう見て欲しいのか?ということとほとんど同義だからです。
だから、自分だと思っている自分のイメージをあるレベルで諦めさせられます。
もう手に力が入らないため、以前のようにそれを強く握り締め続けることができないのです。
まさしく、この状態こそ私たちのゴールです。
ただ、老人は望んではいなかったのにそうなってしまったわけで、見出す者は、自ら望んでその状態に向かっていく、ということが違うだけです。
もう少し言えば、私たちは、彼らのレベルではなく、完全に諦めることをゴールとしているのです。
おそらく、彼らの多くは、毎朝鏡をみて、鏡に映る自分を見て、髪を整えたり、肌のコンディションをチェックしたりしないでしょう。
そんなことをする意味が、もうないからです。
死はもうすぐそこまで来ていて逃げられもしないのに、そんなことをする意義があるのでしょうか。それにもう、そんなことをするエネルギーすらないのかもしれません。
ですので、ここで彼らは自分だと思っている自分という牢獄から解放されるわけです。
もう他人にどう見られているか?どう見られなければいけないか?
という愚か極まりない自らへの強制を捨ててしまえるのです。
こうして、彼らは自分を気にかけなくなります。
気にしたって、どうしようもないからです。
死はすぐそこにいるのです。
だからこそ、彼らは必要以上に人を怖がりません。
誰にでも気軽に声をかけ、あいさつをします。
彼らが若かった頃は、そんなことは考えられなかったでしょう。
バラバラになった個人ゆえに、分離という恐怖の幻想の中で生きていたのです。
自分を気にかければかけるほど、分離の幻想は強化され、自分をこう見て欲しいという欲求が、見て欲しい相手をどんどんと化け物に成長させ、見て欲しいのに、自らの牢獄にかたい錠をかけ、その中に閉じこもっていく結果をもたらし、見て欲しいのに誰も見てくれない、という完全に倒錯した状態をもたらすのです。
この完全に倒錯した物語を生き続けることによって、全てのエネルギーは失われ、最終的にこのような状態を迎えるわけです。
自分だと思っている自分を気にしなくなる。
自分というイメージを諦める。
高齢になればなるほど、必然的にこのような状態になっていくのでしょう。
なぜなら、すでに話したように、肝心の体がどうにもならなくなるからです。
管理人によって、その権利を強制徴収されてしまうからです。
しかしながらこうなった時、皮肉な事に本当の心が開き、おそらく本物の愛を感じるはずです。
だからこそ、相手が誰であろうともう構わなくなるのです。
先日、フードコートでもう歩くこともままならないお婆さんが、斜め前に座ってひたすらスマホをいじっていた、体中刺青だらけの男性に話しかけていました。何の恐れもなく。
彼女にしてみたら、もう誰でも一緒なのです。
「あなた、すごいわねー。へー、それネックレスなの?モテるでしょう、あなた」
なんて次から次に聞いていました。
面白い事に、彼は非常に素直に彼女の話し相手をしていました。
体中に刺青がある、というイメージだけで、大抵の人は防御体勢に入ります。そして、それが相手に伝わり、お互いに緊迫した関係を作り上げてしまいます。
しかながら、彼女のように、”そんなことまったく気にならない”状態で接すると、相手にもそれが伝わり、心と心の会話が可能になってきます。
彼女はもう自分を守る必要を感じていないのです。
だって、もう歩けないんだから。何をするにも人の手を借りなければならず、見栄を張ったって、何の効果も発揮せず、逆に虚しさだけを感じる事になる事を身を持って体験したはずなのです。
だからもう、彼女は意地も張らないし、自分だと思っている自分のイメージを守るための戦いもしないわけです。
選択は、あきらめることしかなったのです。
そこには、平和があります。
こういうことから、バーナデッド・ロバーツは、老人の状態と悟りという状態は、さして変わりがないと言っていたのです。
当時、私は自分が体ではないと思っていましたし、受け入れていましたが、まだ体志向だったのです。
彼女の結論を読んでがっかりしたのは、そこで言わんとしている事がやはり本当には理解出来ておらず、体の面だけでしか捉えていなかったのです。
核心は、老人の体でもなければ、年齢でもないのです。
問題は、まさしく在り方そのものだったのです。
その在り方をすると、体が老いる
という完全に自分と体を同一視した恐れと不安が私をがっかりさせたのです。
ポイントは、体は関係ないのです。
ただ自分だと思っている自分というものを、完全に諦めきれるかどうか?
なのです。それを高齢になるまで待っている必要はまったくないのです。
いやむしろ、それを待っていてはいけないのですね。
体との同一視をやめ、自分を完全にあきらめること。
ただ、これだけです。
そうすれば、私たちは本来座るべきものが正しい場所に座り、再び合一され、この悪夢を終わらす事が出来るのです。
(おわり)
【レベル】:クリアクラス~ユニティクラス
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