宮崎駿さんとドワンゴの一件から見えてくること -5
さて。
では、最後にこの一件の最も興味深いところを見ていきましょう。
実際、宮崎さんは非常に怒っていました。
しかし、ここで見えてくることは、彼らは彼の人生の中で登場しなければならない人たちだった、ということです。
なぜでしょうか?
宮崎さんはすでにアニメの長編映画監督を辞めた、と引退宣言していました。
もう体力がないと。
しかし恐らく、彼の中でまだ終わりにできない何かがあったのでしょう。
ですので、彼らが現れなければいけませんでした。彼の人生に。
彼らが持ってきた作品を観て、彼はこう思ったのではないでしょうか?
「だめだ。彼らはまったくわかっていない。若い人たちにこの世界を任そうと思ったが、まったくだめだ。私の作品を観て、どうしたらあんなものに行き着いてしまうのか?まだ、私にはやらなければならないことがあるようだ。まだ世界に対してやらなければいけないことがある」
確かに彼の作品を観た結果、成果物があのCGであるということは、彼にとって侮辱以外の何ものでもないでしょう。
ゆえに、今回の件によって、もしかしたら彼に火が付いたのではないでしょうか?
だからこそ、この一件の少し後に、もう一度復帰して映画を作ろうと思う、なんていうニュースが流れたのではないでしょうか。
つまり、彼は人生に行き詰っており、出口を求めていた。
その出口となる存在として、起爆剤となるような存在として彼らが必要だった、としたらどうでしょうか?
どうも、私にはそのように感じられるのです。
そうです。
ですので、このことが示しているのは、次の事なのです。
・人は自分が信じているものを、見る事になる。
これは、あるいはこうも言い換えられます。
・人は、自分が見たいと思うものを人生において見る事になる。
これは、いにしえから伝わり続けている絶対の法則です。
今回の例は、この法則がいかに人生を支配しているか?
それを如実に示しています。
ですので、どんなに最悪な人に見えようとも、神は天使しか送っていない、と言われるのです。自分だと思っている自分のままでは、人生のグランドピクチャーを観ることは出来ません。その完璧性に気づけないのです。
しかしながら、あなたが止まり、自分だと思っている自分というふりをやめたとき、その壮大な絵を観ることができ、愛されているということ、あらゆる一切が神の贈り物だということに気づけるのです。
あなたもこの視野を取り戻さなければなりませんし、それは全然可能なのです。あなたの人生は、まずそのためにあるのです。
(つづく…)
【レベル】:ゴールドクラス
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