・あいかわらず出だしから間違う

さらに、当人に追い討ちをかけるのが、自分が辞めたくても、辞められない、
ということなのですね。

「進むの、やーめた」

と決心しても、だめなのです。
どうしようもない力が、歩みを止めさせてくれることはありません。

このことに気づけば、誰が歩んでいるのかは明白で、根本的に発言権も拒否権もない自分というものの実在性のなさに「ハッ」とすれば、そこで終了なのです。
誰がうんざりしているのかは、明白なのです。

うんざりし、犠牲者意識の中でもがき、不平不満を募らせているのは誰なのでしょうか?

いつもいつも、私たちは騙され続けているのです。

言ってみれば、真我に対して不平不満を募らせ、それを自分のものにしたい間違ったエゴの言い分なのです。これでどうして私であるものを、真我を知れるというのでしょうか?

道理がそもそも間違っているのですね。

こういうわけで、まず最初の出だし前から間違っているわけですが、それを論理的に知ったからと言って、自由になるわけでは、真我を悟れるわけではありません。

・探求者の本当の質問

では、それを直接体験によって知ることが出来ない理由は、何なのでしょうか?
エゴが少なくとも慰めを得られるような理由と言うものは、一体あるのでしょうか?

これが、誰も彼もが求めている本当の質問ではないでしょうか?

この質問に対する答えは、あらゆる聖者が言及しています。
けれども、困ったことにその表現方法やアプローチに共通性が一見したところ、
何もないのです。

彼ら一人ひとりの方法が違っているので、探求者はただただ途方にくれるしかありません。
最もスムーズなのは、やり方が一つだけであればいいのです。
そうすれば、これだけの本もやり方も発明されないのですから。

けれども、間違ったエゴであるがゆえに、苦しみであるがゆえに、幻想であるがゆえにそうはなりません。それでは、面白くないのです。

そういうわけで、到達に関する方法は、あらゆる方法が提示されているのです。

この結果、探求者の中で何が起きるかというと、間違った方法を選択したくない、という想いが芽生えることです。何が正しくて、何が間違っているかの識別をしないと自分が達成できない、と思い込んでしまうのです。

この枠組み自体が間違ったエゴのおなじみの戦略ですが、どうしてもそれに気づくことは出来ません。

この結果、正しい間違っているという分離が、
驚くべきことに霊性の中でも起こってしまうのです。
分離は、エゴがあるかぎり、どこにでも繁殖可能で、あらゆる争いや混乱を招く土壌なのです。

(つづく…)

【レベル】:クリアクラス~ユニティクラス
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