・ビューティフル・ドリーマーと同時期であるという偶然

Web講義では、ビューティフル・ドリーマーやトゥルーマンショーという映画を取り上げてみました。

これらの映画がいかに私たちに気づきを与えてくれるか、そこには私たちが気づかなければいけないたくさんの宝物があることを見てみました。

今回は、ビューティフル・ドリーマーが作られた年代とほぼ同時期の映画である
風の谷のナウシカをみてみましょう。

まず、なぜ同時期にこのような映画が創り出されたのでしょうか?
これは、非常に興味深い現象です。

あまり映画やアニメに詳しくないのでわかりませんが、現在、このようなインパクトをもった作品は作られていないように感じます。

また、音楽という分野でも、以前ほど私たちの生活に大きな影響を与えるまでにはいたってないようです。

面白いのは、このような現象をみて、「昔はよかった」「今の音楽は、全然だめだ。」などという感想を多くの方が持つようです。

確かに、そのように感じるのはしょうがないかもしれませんが、私が観る限り、ここにはちゃんとした理由があるのです。

映画にも音楽にも同じ理由があって、現在のこのような状況になっているのです。
これについては、また別途触れてみたいと思います。

・もしナウシカのような存在が100人いたら…

さて、この風の谷のナウシカですが、当時の私も非常に心を動かされた映画です。
数回、映画館に足を運んだことを覚えています。

風の谷のナウシカは、ご存知のとおり、アニメ単行本のほうもあって、そちらのほうが本筋だとは思われますが、ここで扱うのは、映画のほうに絞って触れていこうと思います。

さて、この映画も非常に多くのことを気づかせてくれる映画ですが、とりわけ強調したいのは、タイトルに書いたとおりのことなのです。

この映画が成り立つのは、ナウシカが一人だけだったからです。
もしナウシカと同じレベルの存在が100人いたら、あの物語は成立しないのです。

あのような問題は、起こりません。

・ナウシカだけが、問題の本質を見抜こうとした

ナウシカは、どうして世界はこんな風にしかなれないのか?と
一番重要なところでとらえて、苦しみを抱えて生きていました。

それは、ナウシカ以外にそのことに疑問を持って生きている人がほとんどいない、ということを意味しています。
唯一、ユパだけが近いレベルにいましたが、彼は答えを求めて、世界のあちこちを旅するばかりです。

ナウシカは、問題の本質に足を運び、そこで過ごし、内側の中で生きていました。

そう観たとき、彼女がどれほど苦しんでいたか、それはすぐにわかるものです。
周りの人間全ては、ナウシカが欲しい答えを与えてくれはしませんでした。
どんなに年をとっても、ナウシカのレベルには行き着かないのです。

それは、本当に苦しいものだったはずです。
これは、私たちの状況と同じだからです。

言ってみれば、この映画は、このような状況であることを反映して創っている
ようなものです。

彼女は、周りの人間だけでなく、風を愛し、虫を愛していました。

なぜって、全体だから。彼女は、全体であることを知っていたので、愛さずにはいられなかったのです。

同じ命であるのに、なぜそんなにも人は虫を怖がるのか?
彼女は、無邪気に生きながらも、本当は絶望のような苦しみを抱えて生きていたはずです。

もし風の谷のみんながナウシカと同じように、風を愛し、虫を愛することができたのなら。盲目的な恐れではなく、ナウシカのような開いた生き方が、なんでできないのだろう?

世界は、相対性をもとに成り立っていますから、このような方々は必要ではありますが、あまりにも滑稽です。
私は、彼女の中に、幾度となく、私自身を見出しました。

彼女は、このようなばらばらで恐れに満ちた在り方を終わらすために、その原因を探りました。彼らを苦しめている原因は、腐海であることを認識した彼女は、腐海そのものの原理を知るために、一人そこに訪れにいきました。

腐海は、誰しもが怖がる場所なのに、彼女には恐れはありませんでした。
これは問題の元凶を見出したのなら、そこには恐れがなくなる、ということを
私たちに教えてくれています。

私たちの問題の元凶は、自分があることです。
一人ひとりが自分が生まれ、行為をしていると錯覚しています。
その錯覚の原因は、”私”という感覚であり、これが一番疑わしいのです。

ですので、この私を調査することを、「私は誰なのか?」を調査することを誰しもが恐れます。
怖くて、近寄れません。
問題の元凶を見出した人だけが、そこを訪れ、解決すべく調査を開始するのです。

・物語の展開は、どうなるか?

さて、彼女はそのように突出した存在でしたが、仮に彼女と同じレベルの存在が99人いたら、どうでしょうか?

風の谷だけでなく、トルメキアにもペジテにもナウシカと同じような存在がたくさんいたら、どうだったでしょう?

あのような悲惨な出来事は、起こらなかったのではないでしょうか?

オームの子を串刺しにして、おびき寄せるなどという行為は起きなかったのではないでしょうか?

そうです。ドラマは、創られないのです。
成り立ちません。風の谷にナウシカと同じような存在が30人もいたら、どうでしょうか?

全然、違うものになるのではないでしょうか?

・なぜ一人だけ?

どうして、ナウシカ一人しかいなかったのでしょうか?
なぜって、そうしないとドラマとして面白くないからです。

風の谷のナウシカが100人いる映画は、支持されないし、どのようなものになるか創れなかったわけです。

しかしながら、進歩レベルが上がるに従い、ナウシカが100人いる映画も創れ、支持されるようになるでしょう。

こういうわけで、この映画は、世界の縮図なのです。
世界がどこにいるのかを現しているのです。

皆さんも想像してみてください。
ナウシカと同じレベルの存在が100人いたら、あの映画はどうなるのかを。
ナウシカと同じレベルの存在が1000人もいたら、トルメキアや風の谷、ペジテはどうなっていたのかを。

そういう目で、機会を作って、もう一度、この映画を観てみてください。
この映画もまた、あなたにたくさんの贈り物をくれることでしょう。

(おわり…)

【レベル】:ホワイトクラス

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