さて。
今、この夏の時期には、ゴキブリやハエといったものたちを見る機会が非常に増えるのではないでしょうか。

以前にも書きましたが、これらの存在達は、アンバランスの修正といった役目を担っています。

私たちは往々にして、これらのいきものたちを忌み嫌い、簡単に殺してしまいますが、そこにははっきりとした聖なる力学が働いています。

これらのいきものたちは、私たちのアンバランスを治そうと手助けしてくれているのです。

私たちが病んでいればいるほど、これらのいきものたちに接触する機会は増えてきます。

たとえば、ハエは、腐敗しているところに寄ってきます。
つまり、私たちが腐りはじめていたり、既に腐っていると、彼らはきちんと寄ってきて、それを伝えてくれます。

確かに彼らの季節はあり、年がら年中現れるわけではありませんが、彼らの季節にはきちんと、それらの役目をまっとうしてくれます。

それが場所であろうが、人であろうが、何であろうが。

彼らを観察していると、ものの見事に滞ってるいるところを指し示してくれることがわかります。
要は、その親切な指摘に素直に従えばいいだけなのです。

人を例にあげれば、彼らは病気になっていたり、まもなく病気にかかりそうな人や、心が病み、闇の中に住んでいる人のところにもやって来ます。

私自身も、彼らの訪問を受けた事はもちろんあります。
彼らの驚くべき奉仕は、たとえば、体の病んでいる場所、滞っている場所を教えてくれたりするのです。
私の経験では、彼らはある経絡のいくつかの経穴、つまり、ある特定のツボのところに何度もとまり、そこが病んでいて、まもなく病気になるから、今のうちにしっかりと対処しておくように、と教えてくれたこともありました。

そのアドバイスを聞いて、出来るだけの対処をしましたが、やはり軽い風邪をひいてしまいました。けれど、もし彼らのアドバイスに従っていなかったら、もっとひどいものになったはずです。

先ほども書いたように、彼らの行動をよく観察していれば、ある特定の人だけに寄っていき、体のいくつかの場所にとまったりしますが、それを目にすれば、あぁ、この人は病気になっているか、これから病気になるな、ということがわかるようになったりします。

そういうことがわかってくると、人が作ったものでないもので、無駄なものや害のあるものなど何もない、ということに気づき始めます。

・無益な殺生をしてはいけない、ではなくて。

私たちは、こういういきものをとにかく忌み嫌い、簡単に殺してしまいます。

けれども、目覚めや覚醒が起こると、こういうことには縁遠くなります。

なぜでしょうか?

それは、それがたとえ、ハエやゴキブリや蚊といったいきものでも、そこに自分自身を見ることになるからです。

もはや、彼らを自分自身の延長上にあるいのちとしか感じ取れなくなってしまうのです。

「無益な殺生をしてはいけない」

とよく言われますが、正確に言えば、これは違います。

無益な殺生はしてはいけない、といった場合、そこには必ず、「会ったことも話したこともないけれど、誰か偉い人がそう言っているから、それに従う」といった前提がかなり色濃く感じられるからです。それは、単なる催眠です。

実際には、

「無益な殺生が”できなくなる”

といったほうが適切です。

目覚めれば、それがあなたにとって、どんなにささいないのちであれ、簡単になど、殺すことが”できなくなります”。手が動かなくなるのです。

しない、ではなく、できない、のです。

なぜなら、自分自身をそこに見てしまうからなのです。

これは、たとえば、ラマナ・マハルシが、彼らのホールに蛇が現れたとき、殺さないように指示した、といったエピソードがありますが、まさしくこうなってしまうのです。

彼は無益な殺生はしない、という道徳を持ち出したのではなく、そこに自分自身を見ているから、殺すことなどできなかったのです。

何も彼は人間的な優しさに恵まれていたとか、そういうレベルの話ではありません。しかし、目覚めが起こり、この同一性や統一性のレベルに昇華していくと、すべてに自分自身を見るようになっていくのです。

その結果、人間的な優しさではなく、神の愛という場で機能し始めることになります。そして、それは結果的に、途方もない優しさと愛を表現していくことになるのですね。

ですので、これは、あなたが目覚めているか、そうではないか?
目覚めを超えて、統一の場で動き始めているのか?
あなたがどのレベルで機能しているのか?

といったことを測るよい基準になります。
つまり、簡単にいのちを殺したり、邪けんに扱ったり、無関心でいたり、といったような具合なら、それはそういうことです。

くどいようですが、ポイントは、これらを公式にしてはいけない、ということです。

・姿を現さなくなる

さて、以前のテキストにも書きましたが、目覚めが起こり、統一性の場で機能し始める、このようなレベルで生き始めると、身の回りから彼らが姿を見せなくなり始めます。

もしゴキブリやハエや蚊といったものを、あなたが忌み嫌っているのなら、これは非常に興味深い出来事となるはずです。
彼らが、自ら去っていく、のを目にするのですから。
今までは、なぜか、なにをしても、彼らはやって来る。
という力学が反対になるのですから。

しかし、なぜでしょうか?
なぜ、彼らは去っていくのでしょうか?

もうその必要がなくなるからです。

合一状態に慣れ親しみ、それが日常となっていくことで、これらが人生から退場していくようにすら感じられます。
つまり、分離ではなく、全てという全体性を回復して行く事で、根本的な病みが癒されていき、バランスされていくからです。

この状態がさらにさらに昇華していくことで、次第に、いわゆるほこりや塵といった汚れや雨さえ体に触れる事はなくなるような気さえします。

この状態は最高位に近いレベルですが、このような完全に人間性を超えた段階で機能するには、私たちはまず着実に理解すべきことを理解し、習得しなければいけないことは明らかです。

けれども、このような状態を聞いて、なぜか胸躍るような感覚やワクワクする感覚がするのなら、あなたはそこに向かっていることは、これまた明らかであります。

ですので、このテキストは、疑いなくあなたにとって、朗報なのであります。