☆傷つきたくないから
では、なぜこのように不安100%で生きるようになってしまったのでしょうか?それは、こういう人は、もう傷つきたくないのです。
これまで、散々裏切られ、傷ついてきたので、もうこれ以上痛みを味わいたくないのです。
ですから、何に対しても、「それが本当であるとは思えない。」という態度をとってしまい、それが疑いになるのです。
そして、それが本当なら、決定的な証拠を出して欲しい。そうすれば、信じるから。
という、取り引き をするようになってしまいます。
神は、取り引きをしません。
けれども、もうパニックに陥っていて、何も信じられない人は、自分が取り引きをしている、ということに、自分が何をしているかに気づかず、神は取り引きをしない、ということも思い出せないのです。
それほど、不安、恐れ、という在り方は、決定的な破壊力を持っているのです。
そして、なぜそれほど傷つくような事態になってしまったのか?
なぜ、それほど不安100%で生きるようになってしまったのか?
その原因は、神と離れてしまったからです。
「神は、いらない。
これからは、俺ひとりでやってやる」
こうして、分離の、バラバラである幻想が、夢が生まれてしまいました。
全部、バラバラな存在なら、統制がきくわけがありません。
「あいつを信用したい。でも、あいつは内心、何を考えているかわからない。
信じるわけにはいかない。」
そう、バラバラである、ということはこういうことです。
こういうことであるがゆえに、平和がこの世界に訪れるわけがないのです。
たとえば、この日本という国は、比較的平和ではありますが、それは見せかけの平和です。
あいつは、あいつ。
オレは、オレ。
これは、実はまさしく分離を象徴している言葉です。
相手が何を考えているか?するかわからないのに、心を開けるわけがありません。安心できるわけがないのです。
従って、安心などとはほど遠い状態なのです。
本当の意味での平和など、ありえないのです。
ですので、あらゆる人、政府、団体による平和を願うどんな行いも、結果にはつながりません。
なぜなら、そもそもバラバラだから。
中心に、間違ったエゴを置いている限り、平和など訪れることはありません。
ですので、この世界は、絶対恐怖の世界なのです。
私たちは、実は、この世界が怖くて怖くて、たまらないのです。
怖くて怖くてたまらないから、本当の安心できる家、故郷を探しまくっているのです。
ですので、何でもかんでも疑ってしまう人は、この世界を、絶対恐怖の世界として見ています。この世界は恐怖なのだから、助かるわけがない、とわかっているのです。だから、疑ってしまうのです。
こうして、探しては落胆し、探しては落胆し、という永久ループ状態にはまりこんでしまいます。
それが、間違ったエゴの目的だからです。
(つづく…)