☆保証を求める

このように常に疑ってしまう人は、保証を求めがちになります。

「もし、~なら、~でいいんですよね」

というように。

自分がこれから進むコースが、完全に安心できることを確約して欲しいのです。
なぜなら、もうこの絶対恐怖の世界が嫌だからです。

ですので、~をすると、必ず~になる。
ということが確約されない限り、先に進もうとはしません。

たとえば、悟ると、~になる。
というように、こうなれば、こうなる。こうすれば、こうなる。
と、常に安心できる結果を求めます。

保証されない限り、手を付けようとはしません。

ですので、この世界には、たくさんの保険商品があり、商品に対する保証をつけるのです。そういう要請があるからです。

世界を逆に見ているのです。

保証というのは、あやふやな世界だけに必要なものです。
たとえば、悟りは、あやふやな”もの”ではありません。
よって、保証は求められません。

存在に、保証は必要ありません。
なぜなら、あやふやではないから。

あやふやなときだけ、保証が現れます。
つまり、自分という存在があやふやだと思っているのなら、それは保証を求めて当然なのです。

ですので、あなたの本性が何なのか?それを知らなければいけない、思い出さなければいけない、という帰結にここでも行き着くのです。おわかりになりましたでしょうか?

(つづく…)