さて。
かぐや姫が帰る際、付き人の一人が彼女に羽衣を着せるのですが、この羽衣とは、一体何なのでしょうか?

翁と媼の嘆き悲しむ姿に、彼女はすっかり心を痛めていました。
そんな時、付き人の一人が、

「この羽衣をまとえば、穢れた地上の世界のことも忘れることができますので」

と話し、羽衣を着せようとしましたが、彼女はその手を振り払い、天の存在達にいかにこの地球が素晴らしいところなのかを力説しました。

彼女がここで何を感じたのか?
それを彼らに伝えたかったのです。

けれども、彼女が力説している最中に、その付き人はあっさりと羽衣を彼女に着せてしまったのです。その付き人、そして天の存在の誰もが、彼女に何の共感も示していなかったわけです。

ここは、非常に重要なポイントです。

ここで展開されている事は、間違ったエゴが繰り広げるドラマは、ドラマでしかない、ということです。
そしてそのドラマに、天の存在、すなわちスピリットや真我、神といった存在は、何の価値も置いていない、ということなのです。

このシーンは、人間、間違ったエゴと神がいかにコミュニケーションがとれていないのかを明確に示しています。

もしここで、天の存在達が、間違ったエゴのドラマに同情すれば、完全に巻き込まれます。巻き込まれて、すなわち落っこちて、分離してしまうわけです。

その結果引き起こされるのは、おなじみの分離の幻想です。
そして、その結末は、翁と嫗のように嘆き哀しむ人生です。

だから、間違ったエゴの声は、このレベルの存在には聴こえません。
したがって、彼らの願いは届きません。
ゆえに、私たちがどれだけ神に祈ろうが何も起こらないのは、ここに理由があることがはっきりとわかるのではないでしょうか。

一方、翁や嫗は、天の存在達が何者なのか、全く理解できません。
彼らに言われている事も理解出来ません。

よって、繋がりが、コミュニケーションが成り立たないのです。

こうしてみると、非常によくわかるのではないでしょうか。
何も実現しないと嘆く前に、駄々をこねる前に、私たちはまず思い出さなければいけないことがあるのです。そして、決意しなければならない事があるのです。

では、再度、羽衣とは一体、何なのでしょうか?

彼女が不意に羽衣を着せられた瞬間、彼女は明確にシフトしました。
間違ったエゴ、自分だと思っている自分がなくなってしまったのです。
つまり、翁や媼から見れば、”空っぽ” の存在になってしまったわけです。
もはや彼女は、人間ではなくなってしまったのです。

つまり、羽衣とは、間違ったエゴを消し去ることのできる衣なのです。

羽衣をまとったなら、もう二度と、物思いにふけることはなくなるのです。

そうです。
この物思いこそ、私たちにとっては、最大の敵なのです。

いつ、どのようにして、それが始まったのかは誰もわからない。
しかし、気づけば誰もがその奴隷になってしまっているのです。

私たちの霊的なレベルが上がれば上がるほど、この物思い、頭の中のおしゃべり、声を消し去りたいという欲求は増していきます。

しかし、誰も成功しません。
ほとんどすべての人が、この強敵を前に無残に死んでいきます。

なぜでしょうか?
その答えが、まさにこの物語に示されているのです。

その答えこそが、この羽衣なのです。

それは、一体どういう意味なのでしょうか?

私たちが頭の中のおしゃべりを消し去りたいと思って努力することは皆、間違ったエゴの領域のなかのことなのです。

それを消し去りたいと思っている人が問題なのです。
その思っている人とおしゃべりが同じものだとは気づきません。

しかし、同じものなのです。
だから、いつまでたっても、頭の中のおしゃべりは消え去らないのです。

それを消え去らせようとしているとき、それは翁と媼のレベルで行っている事なのです。だから、いつまでたっても、物思いは消えません。
天の存在達は、あなたの行為や希望を聞いてないのです。
なぜなら、繋がりが断たれているから!

鍵は、この世界の中にあるものでも、あなたの個人的な努力によるものでもないのです。

必要なのは、羽衣なのです。

そして、それは個人の努力の手に届かないところにあるのです。

それは、まさしく ”向こうからやって来なければならない” のです。

おわかりになりましたでしょうか?

ですので、たとえもし、翁が頭の中の声を消し去ろうと、個人を消し去ろうと、自分だと思っている自分を消し去ろうとどれだけ瞑想しても、実現するはずがないことだと、これでわかるのではないでしょうか。

それは、全て個人の努力、人間の世界、この世界、この穢れた中での行為だからです。天の存在のレベルとのつながりが回復されないまま、このようなことをしても、それは非常に、途方もなく歩みの遅い生き方なのです。

しかしながら、皮肉なことに、天の存在から、ひとたびその衣を着せられただけ、ただそれだけで、全ては終えることが出来るのです。

何十日間の瞑想も苦行も必要ありません。
ただ、袖に腕を通すだけ、それだけで頭の中のおしゃべり、声、個人は消え去ってしまうのです!!!

だからこそ、 ”一瞬” なのです。
神の性質、本質は、”一瞬” なのです。

時間をかける、ということが意味するのは、時間の支配下にある、ということなのです。だとすれば、それはあなたが奴隷だと言っているに過ぎません。

時間をかけたり、時間を重要視するのなら、それは神のレベルではなく、間違ったエゴのレベルなのです。
それは、翁の世界です。

こういうわけで、あらゆる本の中で、こう触れられているのです。

「最後の一歩は、神自身のものだ」と。

この最後の一歩こそ、羽衣なのです。

羽衣は、ユナイテッド・アローズにも売っていません。
ラルフ・ローレンにも、アマゾンにも、楽天にも、ユニクロにも、どこにも売っていないのです。もちろん、どこかの教会に置いてあるわけでも、どこかの有名な寺院に置いてあるわけではないのです。
あるのは、偶像だけです!

しかし、あなたにとって唯一必要なのは、そのどこにもない羽衣なのです!

あなたが、心底求めているものこそ、この羽衣なのです!!

だから、私は皆さんにこの物語を観て欲しかったのです。

さて。
では、”残された”私たちにとっての唯一の問題は、では私達はどうすればいいのか?ということです。

瞑想してもダメ、苦行してもダメ、何をしてもダメ。

そんな何も希望がないような状況の中、どうすれば翁のレベルからかぐや姫のレベルにあがればいいのでしょうか?

しかし、ここで思い出してください。

どうやってかぐや姫は帰ることになったのか?

彼女は、ただ一番深いところから、帰りたいと思っただけなのです。
ただ、それだけなのです。

そのために、彼女は彼女なりに、あらゆる経験を、この間違ったエゴの世界を経験しなければなりませんでした。
そして、そこで経験し終えて初めて、帰ることを心底決意できたのであります。

では、あなたはどうでしょうか?

もう帰りたいと思っている?
果たしてそうでしょうか?

あなたは、本当にこの人生で経験すべきことを経験し尽くしてきたでしょうか?

そうかもしれませんし、そうではないかもしれません。

しかし、あなたが本当に決意したのなら、すべてを完了させたのなら、必ずや終了は向こうからやってくるのです。
それは、そうなっているからです。

そして、彼女は帰ることを決心した後すぐ、引き上げられたわけではないことを思い出してください。適切なタイミング、しかるべきタイミングで確実にそれは実行されるのです。

実行されないわけがないのです。それは失敗しません。
なぜなら、絶対だから。推測の世界ではないから。

そのために、あなたに求められていることは、頭の中の声を消し去るために、個人を消し去るために、個人的な努力をすることではありません。

そうではなく、この人生で何を経験し、理解し、マスターしようとしていたのかを思い出し、あますところなく終わらせることです。
何の悔いもなく。

羽衣とは、羽の衣です。

羽とは、飛ぶことであり、軽くなければなりません。
あなたが重いままなら、どうやってその衣をまとうことが出来るのでしょうか?

あなたが、自分に拘り、自分の過去に拘り、この世界にこだわっているのなら、すなわちそれは、とんでもなく重いことを示しているのですから、どうして、その衣をまとうことができるのでしょうか?

その衣をまとうことがふさわしいレベルにならなければ、それはやってきません。それは、いわゆる瞑想などの決まりきった修行を通してではないのです。彼女は、そのようなことは何もしていないことを思い出してください。

そして、私がわかるのは、誰もがこのことを嫌がるのです。
これだけは、避けて通りたいと願っているのです。
まだ、瞑想などの決まりきったことをしていたほうが気が楽なのです。

そうではありません。

あなたは、この人生、この世界を不要と一番深いところで感じる必要があるのです。それは、憎しみや怒りから不要とするのではなく、小さいころに遊んだおもちゃが、いまやまったく必要なくなるようなことなのです。

彼女は、彼女なりにわかったのです。
彼女なりに諦めきったのです。

それがあなたにも求められるレベルなのです。

そして、ひとたびそれが完全に達せられれば、もう帰ることは必然となり、正確なタイミングであなたはこの世界から姿を消すのです。
羽衣をまとうことによって。

(つづく…)

【レベル】:クリアクラス~ユニティクラス