☆ホワイトクラスのおさらい

さて、半年ほどかけて、ホワイトクラスの内容について、説明してきました。

ホワイトクラスの実習段階での特徴は、いわゆる”平均的な人間”とは在り方が全く違うようになることでした。

平均的な人間とは、個人でいることに眠ってしまっている人間のことです。

確かにホワイトクラスの段階でも、いまだ個人として眠っています。
鏡は非常に汚れていて、そこに鏡があることすらわからないほどです。

しかしながら、プロセスを通り抜けていくに従い、その汚れが段々と落ち始め、そこに鏡があることに気づき始めるのです。

そこで初めて、今までもったこともない疑問を持つ可能性が生まれてきます。

「世界は、本当に現実なのだろうか?」
「私は、本当は誰なのだろうか?」

このような疑問が生じ始めるのです。

ここで強調したいことは、誰かに「疑問に思え!」と強制されて、疑うことに価値はないのです。

全然違うところから、
「あれ?」 とならなければいけません。

強制的な理解というものは、間違ったエゴが間違ったエゴをコントロールするためにあるものです。

この世界を間違ったエゴが秩序立てておくためのものです。

そういうものは、飼われておく分には、有効な価値がありますが、ここでの講義は、ここで話している目的は、世界を超えていくことにあるわけです。
そういう意味では、全く価値がありません。

言ってみれば、ホワイトクラスから始まるこのプロセスは、何もあなたを素晴らしくするためにあるのではないのです。

このプロセスは、時に世界のどんなものよりも魅力的なものになりますが、皮肉なことに、あなたの世界を壊すことに繋がっていくのです。

これが、いわゆる 魂の闇夜と言われているものです。

私が経験し、知る限りは、この暗い闇の谷間を誰もが通り抜けなければならないようです。

その谷間に入る資格を持つものは、いわゆる”平均的な人間”にはありません。
平均的な人間は、まだ幻想の世界の中で踊っていることが楽しいのですから。

平均的な人間は、『千と千尋の神隠し』に出てくるお湯屋で働く人たちです。
彼らは、そこから出たいとは思っていません。
彼らが住んでいる世界から出たいとは思っていません。

言ってみれば、あなたは『千と千尋の神隠し』の千尋なのです。

自分の本当の名前を取り戻し、本当の家に還る為に全てを捧げようとしているのが、あなたです。

なぜあのような映画が生まれるのでしょうか?
それは、私たちが決して忘れてはいけないためにあるのです。
それは、私たちが気づけるように設置されたデバイスのようなものなのです。

ホワイトクラスは、魂を思い出し始め、そして神を思い出し、自分自身の聖なるプランを完遂させるという壮大な旅に出始めた人たちが歩みはじめた者が辿るプロセスなのです。

以上で、ホワイトクラスを終了いたします。

次回からは、ゴールドクラスの内容に移行します。

(おわり)