さて。
今回のホワイトクラスのテーマは、”自分を生きること”についてです。

自分を生きる、という事は、非常に重要な事です。
なぜなら、誰しもが、他人を生きているからです。

もし自分を生きる、という言葉の持つ響きが、あなたに伝わる事があるのなら、あなたは、自分を取り巻く人々より、ずっと進歩してしまっていることでしょう。

自分を生きる、という言葉はよく使われる言葉ですので、さして目新しい表現ではありません。

しかし、その言葉に本当に影響を受ける人は、まずいないでしょう。
もしかすると、「そんなことはない」という人がいるかもしれません。
あるいは、そうかもしれません。

ただ、これは私が経験し、観察してきたことを話しています。
私の経験によれば、概念として理解している方は、もちろん沢山いらっしゃいますが、それを生きている方に出逢った事は、あまりありません。

誰もが自分を生きていると思っていますが、実際は、誰もが他人を生きているのです。
他人の考え、他人の基準、他人の方法…。
いつの間にか、自分ではなく他人が全てで、鍵は他人が持っていると信じ込むようになりました。

では、自分を生きる、という事は、どういうことでしょうか?

自分を生きろ、というメッセージを見たとき、
それは私の中の何かに火がついたのですが、その後、すぐに疑問が浮かびました。

「自分を生きろ、というのはわかるけど、その自分とは何なんだ?
その自分がわからなければ、どう自分を生きればいいのかも、わからないじゃないか?」

この疑問は、かなり私を悩ませました。
周りを見ても、答えがありそうには思えませんでした。
数学の本にも、国語の本にも答えは載っていませんでした。

案の定、悩みの根は、小さい頃からの私の疑問、つまり「私とは、一体何なんだ?」に行き着くのでした。

けれども、その時の私の段階において、適切な理解をもたらしてくれる出逢いに恵まれたのです。

☆バードマン・ラリー

中学~高校まで、私には、生き方において3つの柱がありました。
一つは、ブルーハーツというロックバンド。
もう一つは、永田達三さんという予備校の講師。
最後は、吉田聡さんという漫画家です。

3つとも分野が違っていましたが、私にとって、この3つに共通していたのは、自分を生きろ、というメッセージでした。

その中に、吉田聡さんが描いた『バードマン・ラリー』という短編の漫画があるのですが、それに寄稿していたのが、宮崎駿さんというアニメ映画の監督でした。

この漫画について興味のある方は、こちらをご覧ください。(新品は、もうないようですね。)

☆自分の言葉で語ろう

宮崎さんは、その寄稿の中で、正確な文章ではありませんが、こんな風におっしゃってました。

「習った言葉ではなく、自分の心を表す自分の言葉を見つけよう」
当時の私にとっては、非常に勇気付けられる文章でした。
それ以来私は、誰かの言葉ではなく、誰かの概念でもなく、自分の言葉で語っていくことを決意したのです。

このマンガを読み、自分を生きるには、まず自分の言葉で語らなければいけない、ということ。
自分の言葉とは、誰かが語った言葉や概念ではないこと。
言葉を借りてしゃべらないこと。
それが、当時の私が出した結論でした。

自分が何であるのかはわからないけど、盲目的に誰かの言葉を生きるのをやめることが、自分が何であるかを証明できるのです。

この事は、前回の相対性の理解とも同じ事なのです。
生きる目的は、外側ではなく、自分なのです。
興味の対象は、自分に向かなければいけません。

誰かの概念を借りず、自分の言葉で語ることは、つまり自分が何者かを意識的に決定していく作業に他なりません。

では、この作業が一体、何の役に立つのでしょうか?


(つづく…)