さて、最初に戻って、ゴールを決めたサッカー選手は、社会通念上は、謙虚な在り方をして賞賛されますが、果たして本当でしょうか?

彼は、チームメイトのおかげだと言っていますが、もっと言えば、相手チームの協力がなければ、そのゴールは生まれないのです。
相手選手のパスミスや、トラップミスなど様々な相手選手のミスに助けられて、ゴールできているのですから。

ですから、もしその選手が、このように発言したら、どうなるでしょうか?

「このゴールは、チームメイトのみならず、相手チームも含めた全員のゴールなんです。このゴールで私は気付いたんですが、そうであるなら、勝ち負けは関係ないものとなってしまいます。なにせ、全員のゴールなのですから。
みんなで喜ぶものなのです。そうなると、なぜ勝ち進んでいくチームだけが優秀となるのか、私にはわからなくなりました。それは、私にとって、全く意味のないものだということが、今回のゴールでわかりました」

もしこういう発言をしたなら、どうなるでしょうか?
恐らく、意図的に削除されるか、その選手は消されるでしょう。
なぜなら、ドラマは続けられなくてはいけないのですから。

☆分離ではなく、全体

しかしながら、これは非常に的を得た、進歩的な発言ではないでしょうか?
なぜ進歩的かといえば、そこに全体が反映されているからです。
分離ではなく、全体が反映されているが故に、進歩的なのです。

よって、謙虚さを測る基準は、そこにいかに全体が反映されているか、ということになります。
また、これは謙虚さのみならず、進歩を測る基準は、常にそれがどう全体を反映しているのかに依るのです。

もう一回、彼の発言に戻りましょう。

彼は、チームメイトのおかげと言いましたが、実際に話してみるとどうでしょうか?
本心は、「何でもいいけど、俺がゴールしたかった」というものではないでしょうか?

私は、人生の中で、謙虚だと言われている人々と沢山あってきました。
しかしながら、よくよく調べていくと、やっぱり謙虚ではありませんでした。
態度は、紳士的かつ知性あふれる人であったり、思いやり深い、優しい人だったりしました。

けれども、よーーく見てみると、そこにはやっぱり、”わたし様”、”おれ様”が座っているのです。
誰もが、自分が思う自分を頑なに守っているのです。


(つづく…)