☆夢を見ていることに、気付けない

知識を持っていることで、私たちは、差異を生み出してしまうのです。
「私は知っているけど、あなたは知らないでしょう」
自分が持っている知識にうっとりしてしまって、まさしく夢中になっているのです。
最初は、そうではないかもしれません。
しかし、徐々に徐々に侵食されていき、自分が夢中になっていることすら、気付けなくなっていくのです。

ですので、あなたは何も知らないんだ、といわれると、間違いなく腹が立つのです。
いい夢を見ていたのに、夢から突然起こされるからです。

もちろん、この幻想の世界がまだ好きで役割に浸っていたい場合は、全く問題ありません。
それはそれで、結構なことです。
この幻想の劇には、大勢のそのような方が必要なのですから。
しかしながら、どの存在も、いつかは幻想を幻想だと気付く時が来るのです。

そして、ギブアップの会は、そのことに気付こうとしている方、既に気付いた方の為にあります。ここで、ご紹介している各テーマは、その為にあるのです。

☆その知識を得た人は、誰ですか?

私たちは、根本的に何も知りません。

何かの知識を得たことがあるでしょう?
でも、その知識を得たと思っている人が、あなたは誰だか知っていますか?
その人、つまり、自分はいつ生まれたのでしょうか?

これが、私が誰も知らない、といっている意味です。
知識を持っている人が、実は誰なのか?誰にも、答えは出せないのです。
そうであるなら、誰が何を知っているのでしょうか?

実は、自分は何も知らない。ということは、優秀な人ほど、高学歴な人ほど受け入れることが難しいでしょう。
それは、自分が知識によって成功してきたからであり、それを全否定するような
事実を簡単には受け入れられないからです。

例えば、知らないという事を知る、と聞いた時点で、このような方は、記憶というデータベースに瞬時にアクセスし、学んだ事をひっぱってきます。

「確か、あの哲学者が言ってたな」などなど。

そういう借り物の概念をもってくるようプログラミングされているので、基準がいつもいつも自分が学んだ概念になってしまうのです。

もうこうなると”純粋に知る”、ということが出来なくなってしまいます。
こういうことから、彼らは進歩の歩みが非常に遅れがちになってしまうのです。

☆知らない事を知る事で、分離、執着から解放される

知らない、ということを知る事は、とてつもなく謙虚な在り方です。
なぜなら、もうそこに、「俺のもの(知識だ!)」といった誤った理解がなくなるからです。何かの知識を得たとしても、威張る事もなくなります。
人と比較する事もなくなります。知識に対する執着もなくなってしまいます。
知識は今まで、差異、分離を生み出していました。
これからはもう、その分離はなくなっていくのです。

これを直接的、経験的に理解できたのなら、非常に楽になります。
自動的に、傲慢さやプライドといった進歩の足かせとなっていた在り方も消えていってしまいます。

間違って欲しくないのは、知識を軽んじているわけではないのです。
大切な事は、どんなに知識を得ても、実は何も知らないんだ、ということを知っていることが肝要なのです。
そうすれば、間違ったエゴ特有のプライドや執着といった重い鎧から解放されるのです。
解放される事で、鎧で隠されていた光が輝きだします。
あなたが輝く事で、他の存在は、まさしく道を見つけることが出来るのです。

(つづく…)