アニメ映画の監督を引退された宮崎駿さんは、「生きろ」というメッセージを伝える事がよくあるような気がします。

これは、面白い事ではないでしょうか?

私にとって何が奇妙だったかといえば、誰もが彼の映画は観るけれど、メッセージにはあまり耳を傾けていないことだったのです。

面白くないですか?「生きろ」というメッセージ。

私は一般的な人間の人生を歩んできて、彼の作品が好きな人とも話した事はもちろんあります。仕事のランチの時に話題になったり、誰かと一緒に帰るあいだに、ふと話題になったり。飲んでいるときに、話題になったり。

どれほど話題が出ても、この「生きろ」というメッセージが何を意味しているのか、について、話題になった事がありません。テレビなどはあまり見ないのですが、テレビでこのことが話題になっている事はあったのでしょうか。

さて、私にとって、何が面白い事なのか?といえば、

誰もが生きているのに、なぜ彼は、「生きろ」というのか?
についてです。

生きているのに、生きろ、ということほどバカみたいな話しはありません。

「いや、生きてますけど、何か?」という感想が出てこないのは、おかしくないですか?

あるいは、「宮崎監督は、変な事をおっしゃいますよね。誰もが生きているのに、『生きろ』なんて、それじゃまるで、誰も生きていないみたいな言い方じゃないですか」

なんていう話があちこちからあがっていいように思いますが、誰も気にしません。
あるいは、何を言われているか、実はよくわかっていたりするのですね。
で、間違ったエゴはそれを無視するわけです。


さて。
このように、誰もが生きているのに、彼はなぜ「生きろ」なんて強く熱い意図を持って言うのでしょうか?

私がわかることは、つまり、それは、彼の目から見れば、誰も生きていないわけです。
そうでなければ、こんなことを言うはずがないのです。
こんなことを言えません。生きていないのが見えるから、彼はこのように言うのです。

彼から見れば、誰も彼もが、生きているとは、ほど遠い生き方をしていることがわかりすぎているから、それを強く言うんだ、ということです。

空気を吸え、とは誰も言いません。
誰もが吸っているから。

生きろ、というのは、彼から見ると誰もが生きていないから。
だから彼は、叫ばなければいけないのです。

しかし、このメッセージに気づく人は誰もいないようです。

あのおきまりの奴のシャッター、あるいはヴェールはしっかりと閉じられ護られています。

「おかしいな。なんで彼は、生きろ、というんだ?生きているのに」

と止まることが起こる人は、本当に少ないのでしょう。

このような疑問が突然やって来て、自分が生きていない事に気づける人がどれくらいいるのでしょうか?

そうなれば、では生きろ、というとき、何を生きるのだろう?
彼が言う、生きろ、とはどんなことなのだろう?
どんな状態を指すのだろう?

と聖なる疑問が生じるのです

こうなったとき、本当の意味で、人生が進み出すわけです。

そして、彼の映画を観た事をきっかけにして、人生が本当の意味で啓発される、インスピレーションをうけ、精霊の訪問を受ける人は、ほとんどいないというのが実情です。

私が分かることは、あらゆる人の人生にこうなること、このような人生に一大転機を生み出したいがために、彼は、声を大にして、「生きろ」と伝え続けているんだと思います。

そして、彼のメッセージの核心を受け取れる人は、残念ながらほんのわずかだ、ということです。その後、彼のメッセージを受け取り、自分を生き、理想を生きることに人生を捧げた方々が、また同じメッセージを伝え続ける、ということが起こっていることです。

そして、そのメッセージは、大多数の耳には届かない、ということも含めて。

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