皆さんも既にお気づきかと思いますが、ここ最近、というか数年、日本に来られる”外”国の方々がものすごく増えているようです。
たとえば、繁華街などに行くと、既に外国の方々がいて当たり前のような状況になっています。それも、かつては中国や韓国の方だけのような感じだったのが、今では、ベトナムやネパール、タイといった国々を始め、白人の方々も多く訪れているような気がします。
実際、今は経済において、インバウンドが着目されているようで、いかに観光目当てで訪れた外国の方を呼込めるかについて、あらゆる所でいろいろ施策されているようです。
こういう光景は、たとえば2000年にそれを見ていたかといわれれば、私自身、全く記憶にありません。ですので、統計を見るまでもなく、日本に来る外国人は、激増していることは、私の記憶の限りでは、間違いありません。
そこで、私たちが当然のごとく疑問に感じるのは、
ではなぜ、こんなにも多くの外国の方々が日本に来ているのか?
ということです。
その理由としては、差し当たり、
・その国の経済が豊かになって、違う国に旅行に行けるようになったから。
・ネットの普及によって、世界が近くなったから。
こんな所なのではないでしょうか。
ただ、ここで疑問になることは、もしその国の経済が豊かになったから外国旅行に行けるようになったからだとして、なぜ日本に来る必要があるのか?
ということです。
だって、日本以外にもたくさんの国があるからです。
別に、ザンビアだっていいわけです。
エクアドルだっていいわけです。
なぜわざわざ日本に来るのか?
ということが見られていません。
ネットの普及もまた、同様のことが言えます。
ケニアだっていいわけです。
ナイジェリアだって、ペルーだって、別にいいわけです。
なぜ、日本にこんなにも人が来るようになったのでしょうか?
もちろん、ネットの普及があるからこそ、今では世界中で旅行する人の数が増えているそうです。ですが、来日する外国人の数は、ここ数年、半端ない感じがします。私の記憶が間違ってなければ。
ですので、来日しているネパールの方や、ウズベキスタンの方、ベトナムの方なんかにその理由というか、なんで日本に来ているのかを質問すると、大体、勉強しに日本に来ている、という返事が来ます。
あるいは、アニメやコスプレなどといった日本独自の文化に惹かれて日本にやって来る人も多いのでしょう。
けれど、私がそれでも疑問だったのは、なぜ今、日本なのか?
ということでした。
経済的という観点から見れば、今の日本に魅力があるのでしょうか?
80年代のバブル最盛期や90年代のころのほうが、パワーという点では、今とは較べものにならないほど活気があったはずです。
ですから、そういう時期に外国人の観光客や勉強しにくる方々が激増している方が自然なはずだからです。
でも、私が知る限り、当時、渋谷とか新宿でよく遊んでいましたが、今のような光景を見た覚えがないのです。
もしそういう光景を見ていたのなら、家に帰って必ず、
「かあちゃん、なんだか外国人がスゲーいんだけど、ナニヨあれ?」
と言っていたはずだからです。
ですので、その国の魅力が何かは今はさておき、経済、というか活気という点においてみれば、私の感覚では、今のこの日本になんの魅力があるのだろう?
という感じがするわけです。
3.11を経験し、原発は爆発して放射能が降り注いでいて、少子高齢化に突入し、あちこち普通に大きな地震も頻発しているこの国に、一体、何の魅力を感じてやってくるんだろう?
普通に疑問じゃないでしょうか?
皆さんは、このことについて、友達や職場の同僚や家族と真剣に話題にした事があるでしょうか?
「外国人、すごいいるよねー。」
「そうだねー」
といった表面上のやり取りではなく、何が起こっているのか?
なぜ今、彼らはこぞって来ているのか?
来ている、ということは、求めている、とも言い換える事ができるわけですから、彼らは、一体、何を求めているのか?
といったことを、真剣に話題にしたことがあるでしょうか?
彼らは、一体、何を求めて来ているのでしょうか?
文化、伝統、食べ物、自然、街並み。
こういったものごとの背景にあるものは、一体、何でしょうか?
それこそ、彼らが求めているものではないでしょうか?
では、逆に、私たちが外国に行くとしたら、なぜ行くのでしょうか?
日本とは違う国に行く場合、一体、そこに何を求めに行くのでしょうか?
そうすると、答えは見えてくるのではないでしょうか?
なぜハワイやグアム、アメリカやヨーロッパやオーストラリアなどに行くのでしょうか?
何を求めに行くのでしょうか?
このサイトに来られる多くの方は、もちろんそのような国々にも行った事があるのでしょうが、一般的に人気があると言われるこれらの国以外、インドなどに行ったことがあるのでしたら、なぜそのような国々に行くのか?
という風に変換すると、答えはより見えてくるのではないでしょうか?
私たちが外国に行く場合、当然、普段の日常と違ったものを見たいから、行くのです。違った経験をしたいから、そこに行くのではないでしょうか?
それは、言い換えれば、違う”意識”を体験したいから、ということに他なりません。
外国であれ、他の観光名所であれ何であれ、旅をしたいのは、言い換えれば、それは意識を体験したい、ということではないでしょうか。
ですから、たとえばインドに行くことで、そこの意識に触れ、自らの覚醒の足がかりに出来ると思っているから、行くのです。
パリにしても、NYにしても、それは同じことなのです。
そこにある意識に触れてみたい。
私たちが他の国に旅立つ主な動機は、意識に触れたいからに他なりません。
日常の意識から解き放たれて、違う意識を体験してみたいからに他なりません。
そして、違う意識を体験する事で、日常の意識レベルに変化を与えたいのです。
このように、自分が旅する理由が明白になれば、彼らが日本に来る理由も明白になります。
それは、疑いなく、現在の日本という国にある、意識に触れてみたいと思っているからに他なりません。
もちろん、本人はそんな動機があるとは全く気づいていません。
アニメの本場に来てみたかったとか、ラーメンが食べてみたかったとか、そういう具体的なものが動機になっていて、そこの奥深くに入っていくことを知らないわけですから。
けれども、実際は、意識に触れたいからに他なりません。
ここで疑問に思うのは、繰り返しになりますが、今のこの日本になぜ魅力を感じるのだろう、ということなのです。
この日本という集合グループの意識は、そんなに魅力的なのか?
ということなのです。
地震が頻発し、火山も危険、しかも原発は爆発しちゃってて、表面上の安全さという面では?マークしかありませんし、ニュースでは、暗いものしかあがってきません。惨殺したとか、事故、災害とかそういうもので溢れかえっているわけで、重くて暗い感じしかしないのではないでしょうか。
けれども、彼らは今、こぞってこの国に足を運んでいるわけです。
くどいようですが、興味深いことこの上ない現象です。
バブリーなころの日本ではなく、今のこの活気のかけらもないように見える(ここがミソなのですが)日本に多くの外国人がやってきているのです。
そして彼らは、食べ物や観光といったものを通して、意識を取り込んでいる、ということです。
では、一体、どのような意識なのでしょうか?
それは、覚醒という意識です。
この国(夢の中であれ)に蒔かれ、花開いている最中の目覚めという意識です。
もちろん、誰もこのことには気づきません。
こう私が書いたとしても、誰も信用しないでしょうし、一蹴することでしょう。
それはそれで、全く構いません。
けれども、事実は、そういうことになります。
ここには、非常に高く洗練された(相対的にですが)意識の流れがあります。
普段、何気なく生きている私たちには、それに気づくことは出来ません。
何度も言うように、街角やニュースを見れば、そんなに美しい意識が流れているなんて思えないのは、当然です。
けれども、外にいる者たちにとっては、そこには非常に魅力的な何かがあることがわかるわけです。非常に興味深く映るわけです。
それが、ラーメンやアニメ、寿司といったものに変換され、わかりやすい表現として、マスまで落っこちた意識としてキャッチされるわけです。
彼らは、その意識を彼らなりに消化し、もちかえってさらに昇華させてゆくことで、そのグループの意識の進化に寄与することになります。
もちろん、彼らがやってくるのは、それだけではなく、私たちにとっては、意識の次のレベルに必要になるわけです。
この国の意識において、特有な障害は、縄張り意識、融通の利かない意識、表面上のやり取りに終始する意識(意味のない礼儀作法)といったものがありますが、こういう意識が変革するには、外側の文化をもった者たちの手助けが必要なわけです。
なぜなら、高い意識レベルといっても、所詮、それはまだたかがしれているからです。
それは、この地球の平均的な意識から高いだけであって、いわゆるマスターからしてみたら、まだ幼子のようなレベルなのです。
ですので、内側から変えられるほど、このグループは進化してはいません。
よって、まだ外側の助けが必要なため、このグループが抱えている問題、少子高齢化といった難局などを乗り越えるためのサポートが今、来ているわけです。
彼らと交流する事によって、自分たちの意識の限界を外していく作業をしていくことが起こっています。
これが今、まさに起こっていることです。
さて。
では、こういった社会情勢とあなたに何の関係があるのでしょうか?
もちろん、あなたはそれに多いに関係があります。
なぜなら、あなたがその意識の流れを創り出しているからです。
その意識の流れに乗っているのではなく、あなたが率先してそれをやっているからに他なりません。
あなたは、まだこのことに気づいていないでしょう。
もしかしたら、なんとなくそうなんじゃないか、ぐらいの感覚ではないでしょうか。
しかしながら、私がこのテキストでお伝えしたいことの根本は、この一言だけになるのです。
そして、いずれ、見えるようになることで、こういうことを私から聞くのではなく、直接見るようになっていきます。
なぜなら、少なくともそれが覚醒の結果だからです。
ですので、このテキストで学んでいただきたいことは、こういうことに日々、気づいていらっしゃいますか?ということ。
何となく日々を生きてはいませんよね?ということ。
つまり、覚醒と日々の生活とを切り離して生きていては、実現はまだ遠い所にある、ということなのです。
そして、気づいていないのであれば、あなたはこれからこういうことが見えるように、引き続き日々、自覚外でのプロセスを歩んで行く事になります。
これが、目覚め、あるいは覚醒が引き起こす、いわば意識が拡大した結果、何が起こるのか、という事例になります。
つまり、目覚めれば、こういう絵が努力なく見えるようになります。
これは、私自身にとってはあまりに自然な成り行きだったため、当然としていたことなのですが、多くの人と話していると、どうもそうではないらしい、ということがわかりました。
これは、意識の拡大のほんのささいな事例ですが、目覚めることによって、これは起こってしかるべき変化になります。変化というより、本来の状態への回帰といったほうが適切です。
なぜかというと、こういう見え方は、観察者、あるいは観照者の状態で生きていることによる結果に過ぎないからです。
ですので、当時の私にとっても、今の私にとってさえ、大したことではない状態です。しかしながら、多くの人にとっては、まだ未知の領域のようですので、こういう状態になる、という指針は示しておこうと思います。
では、どのようにしてこういうレベルに達せられるか、と言えば、それは総合的なプロセスを辿るほかありません。このあたりは、再度、背の高さと景色、といったテキストをよく読んでみてください。
また、必要だと認識されれば、ギブアップの会のクラスなどに足を運ぶことになるでしょう。
しかしながら、手段や方法がどうあれ、皆さんは着実に歩を進めることになります。なぜって、それしか望んでいないし、望まれていないからです。