既に、ご存知の方も多いかと思いますが、先日、宮崎駿監督がアカデミー名誉賞を受賞されたそうです。

賞状の名称があっているかは定かではありませんが、ともかく彼が受賞した際のインタビューが非常に重要です。

おそらく、これはアメリカのハリウッドか何かでスピーチしたものだと思いますが、全世界が注目する舞台の中で、彼は、こう言いまいた。

「私たちの国は、戦後50年で一度も戦争をしてこなかった。それで、儲けたりしたことはあったかもしれないが、それでも一度も戦争をしなかった。このことが僕らの仕事にとって、大きな力となった」

正確ではありませんが、このようなことを述べたのです。

この発言の重要さは、どうやら全く取り扱われていないようですし、私たちの日常でもさして気に留める人はいないようです。たぶん、「いいこというなー」ぐらいのごく個人的な感想は持つかもしれませんが、それ以上ではありません。

しかしながら、私がわかる限りで言えば、この発言は非常に大きいです。
もしかすると、何十年かたって、あるいはもっとずっと後になって、やっとこの発言の価値に気づくことになるでしょう。

敏感な人であれば、間違ったエゴから多少抜け出している人であれば、現在、この国がどういう状況になっているか、すぐに察しがつきます。彼は、そのことを非常に敏感に察知しているからこそ、こういう発言をこの場でしたのでしょう。

この発言の影響力によって、おそらく私たちは”する必要のない争い”を回避できるような気がします。政治家もメディアも誰も取り合わないかもしれません。しかしながら、このちょっとしたメッセージが、おそらく現状のこのグループの意識の核に痛烈な一撃を与えたことは確かです。本当に大きな影響力を持つものは、つまり、私たちを本当の意味で前進させるものは、実はこういうものです。皆さんもご存知のとおり、政治家の所信表明や官僚が描くうんたらかんたらでは、決してないのです。

彼は、バブル期もまたそうでした。
ともかく、時代の集合意識というものの位置を非常にすばやくキャッチして、相対的ではありますが、正気の道に導くこと、先導をすることに長けています。というより、それが彼の役目なのかもしれません。

なぜしょうか?
このことは、グループミーティングの ”個人と観照者” で言及しましたが、彼は観照者の立場を既に持っているからです。
人間、間違ったエゴ、自分が思っている自分という場所ではなく、観照者を確立しているからです。

彼は、そうであるためにどれほど瞑想をしたのでしょうか?あるいは、どれほどマントラを唱えたのでしょうか?どこかの寺院や寺で座禅をして、三昧の境地になっていたのでしょうか?わかりますよね?違います。すでに、彼はそうだったのです。

私は、たびたび彼について言及します。ニサルガダッタ・マハラジやラマナ・マハルシなどの”いわゆるマスター” とは趣きが全然異なっています。アドヴァイタでも何でもありません。

しかし、そんな分類はどうだっていいのです。

なぜなら、彼は私たちが進むべき指針としては、非常によい模範を示してくれているからです。

たぶん、現時点で、この発言に対して、誰も感謝しないかもしれません。
しかしながら、私たちは、気づいています。
その重要性、それがこの集合意識にどのようなインパクトをもたらしたのかを
気づいています。

そして更に重要なことは、あなたもまたそうなのだ、ということです。
つまり、それはあなたがいかに責任を持っているのか?
どのような仕事をしていて、どのような影響力を持っているのか?
(当たり前ですが、それは会社とかの仕事のことではありません)

それを示しているのです。

(おわり)

【レベル】:ホワイトクラス~ゴールドクラス