・欲望という障害物

唯一、人並み以上の欲望は、「私は、誰なのかを知りたい」というものでした。
結果的には、そのためだけに、生きてきたようだったのです。
そして、それ以外の欲望は、ほとんどスルーだったのです。

けれども、私はそのことすら、気づけなかったのです。

そして見渡す人々が、とんでもない欲望を抱えて生きているのだと、やっとわかるようになったのです。

ギブアップの会をやりだす前から、チャネリングのサークルに入ったり、ナチュラルスピリットで働いてみたりして、いろんな方と出会ってきました。

そして、ではなぜ私にそれが起きて、他の方に起きないのか?

「ニサルガダッタ・マハラジやラマナ・マハルシなどに起こって、なぜ私にはそれが起きないのか?」
「悟りや覚醒が、なぜ私に起きないのか?」

その答えは、私がわかった限りで言えば、当人が持っている欲望に関連する、と言えます。

眠った個人でい続ける人々は、もちろん重いです。
持っている欲望の総量はすさまじいものがあるのですから。

けれども、困ったことに、悟りや真我、スピリチュアルというものに興味をもっている人々もまた、私が感じる限り、重かったのです。
もちろん、眠った個人と較べれば、はるかに軽いのですが、やはり重かった、ということです。

その重さの要素の一つが、欲望なのです。

ですので、先日、『純粋さから始めなさい』というタイトルを出したのです。

欲望が、執着や罪悪感がありすぎることが、悟りを、真我を見えなくさせている主要な要因なのです。

・疑問の答えと解決方法

ですので、

「なぜ私には、直接体験がやって来ないのか?」という疑問に対する答えは、
「あなたが持っている、執着している様々な欲望が、その原因の一つです」ということになります。

では、どうすれば欲望を捨て去ることが出来るのでしょうか?

それが問題ですね。

この方法について、私は正直、なんとも言えない、というところです。
なぜなら、そもそもそれほど持ち合わせていなかったので、捨て去る、ということ自体が私にとっては、異質だからです。

しかしながら、私自身の経験から導き出せる方法をみていきたいと思います。

その方法は、次の二つになります。

a:その欲望以上に、重要な欲望を見つけること
b:その欲望が空っぽになるまで、付き合うこと。

aは、自分が持っているあらゆる欲望以上に、もっと重要な欲望を見つけて優先させることです。真我を実現する、悟るというのは、全ての中で最上位のものです。その欲望は並大抵な決心では満たすことができません。よって、自分が持っていて、分散させてしまっている欲望をその一点に集中させるのです。

おそらく、日本などにある出家というものは、本来的にこの目的のために作られた方法論のはずな気がします。けれども、システムや制度というものは、間違いなく形骸化して、本来の目的に仕えることはありません。

bは、言ってみれば、飽きるまで、それを味わいつくすことです。
それを味わいつくし、中身がそもそも空っぽだったと気づくまで、それが何の意味もなく、ただ、苦しみをより深く延長させていただけに過ぎない、という気づきがやってくるまで、率先して味わうことです。

気づきが、直接理解がやってくれば、どんな欲望も存在できません。

もし気づきのないまま欲望を味わい尽くしても、新しい欲望が違う形でまたやってくるだけです。それは、延々と無限ループをしていく状態を創りだすだけなのです。

ですので、その気づきがやってくるまで、付き合うことです。
欲望が死ぬことが先なのか、体が死ぬことが先なのかは、わかりませんが。

けれども、スタンダードな道は、この道でしょう。
大半の方は、この道を辿っていくことになります。

今回は、「なぜ私には、概念しかなくて、それがやってこないのか?」

その明確な理由と原因の一つを解き明かしてみました。

これについては、再度、グループミーティングのテーマとして扱い、みなさんで確認してみたいと思います。

(おわり…)

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