私が悟りと老人の関係についてはじめて触れたのは、バーナデッド・ロバーツの本を読んだときのことです。
確か彼女は、自分自身に起こったことは、老人のそれと何ら変わらないものだと結論付けていました。記憶違いでなければ。
当初、彼女のこの言葉によって、私はひどくがっかりしたことを覚えています。
「最終的なゴールが老人が経験するものと変わらないのなら、別に必死こいて求める必要なんてないじゃないか。なんてばかばかしいんだ。70や80になったら、求めずとも経験できる物を、今経験する必要なんてさらさらねーよ、ばか。だったら、なんで最初に、誰かがそう言っておいてくれないんだ?」
とバカバカしいことこの上ない心境になったのです。
もちろん、彼女は悪意をもってそう言っているのではないのですが、時期がいかんせん遅すぎました。彼女に出逢うのが遅すぎたのです。
最終的なゴール、つまり悟りや解脱というものが、老人の心境と変わらない、とは私が知る限り、彼女しか指摘していません。
神との対話にも、そんなこと書いてありませんでした。
ニサルガダッタ・マハラジの『I am that』にも書いてなかったと思います。
ラマナ・マハルシの『不滅の意識』にも書いてありませんでした。
当時、私が属していたクリムゾン・サークルにおけるトバイアスや聖・ジャーメイン、クツミ、ラムサといったチャネルもそんなことを話しているのを聞いたことがありませんでした。
セスの本にもそんなことは書いてなかったように思います。
もし聞いていたり、読んでいたなら、その衝撃を必ず覚えているはずですから。
老人と変わらないものを、私は求め続けてきた。
そう思っただけで、残念過ぎる想いにかられました。
最悪な詐欺にひっかかった気分になったのです。
「私は、なんてアホらしいことを追い求めているのだろう」
彼女の言葉は何と言うか、私の土台を根こそぎなぎ倒したのです。
後に残ったのは、失望や絶望といったものだけでした。
私はまだいいかもしれませんが、彼女は観想生活をそれこそ何十年と続けてきたのです。その行き着く先が老人が経験する日常と変わらないのなら、観想は、誰よりも早く積極的に老人になる行為にほかなりません。
ほっておけば、大抵老人になるのですから、そんなに急いで老人になる必要なんてありません。それに、誰もが老人にはなりたくないはずです。そのために、女性はありとあらゆる方策を練るのではないでしょうか?
彼女もまた、そうした行為はしていたでしょう。
なりたくないものが老人で、しかしやっていることは、いち早く老人の境地になろうとするのは、全く矛盾しています。
先行者利益としての老人なんて、私には全く価値があるものとは思えなかったのです。
当時の私には、このことの答えがまったく見えませんでした。
また、既に書いたように他に誰もこのことを教えてくれていないことにも怒りを感じていました。なぜブッダは、一番最初にこのことを話さなかったのか?なぜイエス・キリストは、一番最初にこのことを話さなかったのか?
最初に伝えれば、誰もが瞑想だの修行だの祈りだのをしないだろうに。
積極的に老人になりたい人以外に。
ただただ、こみ上げる怒りと疑惑と絶望感を感じながら、何とか人生にバランスをもたそうともがいていました。
(つづく…)
【レベル】:クリアクラス~ユニティクラス
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