非常に長かったかぐや姫の物語シリーズですが、今回が最終回となります。
前回は、かぐや姫の物語が物語の祖であること、そしてそれが何を意味しているのか?について詳しくみていきました。
そこで思い出していただきたいのですが、たぶん多くの方が、すでにこのかぐや姫の物語、竹取物語を学校の古文の授業などで習っていたはずだ、ということです。
(今も教科書に載っているかは知りませんが)
「昔、竹取の翁といふものありけり…」
このような一文を読めば、「あぁ、思い出した」という感じになるのではないでしょうか?
そうなのです。
私達は、すでにこの物語を習っているのです。
しかし、どうでしょうか?
学校の授業で教えられていた内容は、どのようなものだったでしょうか?
私は、古文の授業でこの物語を勉強したことを覚えています。
けれども、その当時、まさかこの物語が言わんとしていたことは、まるでわかりませんでしたし、教師がこのように教えてくれたことはありませんでした。
もし、熱をもってこのように教えていてくれたのなら、私は確実にそれを覚えているはずです。けれども、何も思い出せないのはやはり、教師は何の熱もなく、ただやることになっているから、マニュアル通りの内容を授業していただけ、ということは確実です。
思い出してください。
「昔、竹取の翁といふものあり( )…」
問:上記の( )内に入る ”正しい” 言葉を以下の中から選びなさい。1.ける 2.けら 3.けり 4.なん
この世界が大好きな事です。
これが、世界で行われていることです。
この問題に正しく答えられる人は勝ち組だということです。
内容なんてどうでもいいのです。
これを書いた人が何を伝えようとしているのか?
そんなことはどうでもいいのです。この世界は。
それよりも、こちらが与えた選択肢からとにかく正しいものを選ぶこと。
連体形や連用形が正しく理解できていることが重要だ、ということです。
完全に狂っているのは、その連体形や連用形を正しく理解したからといって、この物語が言わんとしていることを理解できない、ということなのです。
もしそうなら、学校教育にいるあらゆる教師は同じレベルで、この竹取物語について教えることが出来ているはずですし、古文の成績が優秀な生徒は、すべてこの物語が言わんとしていることを理解できているはずなのですから。
そしてそうであるなら、このような映画は作る必要がないのです。
高畑監督は、間違いなくこの映画を作ろうとは思わなかったはずです。
ちなみに、私は確かに古文の成績は優秀でしたが、当時、竹取物語について、今の理解を持ってはいませんでした。まさか、こんなことが語られているとは全く気づきませんでした。
とすると、学校の教育とは何なのでしょうか?
こういう例はまだまだあります。
問:この物語の筆者の主張はどのようなものだったのでしょうか?以下の4つの選択肢から正しいと思われるものを選びなさい。
1.…
2.…
3.…
4.…
皆さんには、なじみ深い問題ではないでしょうか?
しかし、私は当時から疑問だったのですが、どうして筆者が言おうとしていることがわかるのでしょうか?
それは、本当にそうなのでしょうか?
この問題を作った人が、直接それを書いた人に聞きに行ったのならわかります。
けれども、すでに死んでいる人にどうして聞きに行けるのでしょう?
もし本人が、「そんなこと思っちゃいねえよ、ばか」と思っているのなら、どうすればいいのでしょうか?
そうなった時、この問の”正答”に答えられず、試験に落ち、希望の学校に行けなかった人は一体どうすればいいのでしょうか?
ええ、そうしてみれば、この世界がいかに狂っているか?
非常によくわかるはずです。
そして、一番の問題は、その狂った世界にあなたが頼っているという事実なのです。
ここが一番の問題なのです。
よく見てみてください。
この物語に言及している多くが何を重視しているのかを。
”誰が書いて”
”どこで書いて”
”いつ書いたのか”
こういうことばかり探し出そうとしているのを、あなたは気づいているでしょうか?
この物語の成立時期は?
この物語は、誰が書いたのか?
この物語は、どこで書かれたのか?どこの場所のことを言っているのか?
本当に言わんとしている事、そこに埋められている宝は、メッセージではなく、”誰が”、”いつ”、”どこで”、ということだけなのです。彼らにとっては。
彼らはそこにしか関心が持てません。
つまり、そこで生きているレベルなのです。
であれば、当たり前のように、学校の問題集が作られるわけです。
だから、問題集の問題は、このようなものばかりになるのです。
しかし、このサイトを読み、本当の本当を心から知りたいと熱願しているあなたは、そのレベルではないのです。そのレベルをもう超えているのです。
よって、あなたはこの狂った世界に頼ることはもう出来ないのです。
この映画を観て、このことを一番深いところで気づいたなら、この映画、この物語の言わんとしていることを本当に理解したことになり、それだけでこれらは歓喜に満ちるに違いないのです。
なぜなら、メッセージが受け取られたから。
おわかりになりましたでしょうか?
最後に、この映画を作った高畑監督のメッセージをぜひ、読んでみてほしいと思います。
かぐや姫の物語 監督の言葉
なぜって、レベルが違うことがわかるから。
まったくレベルが違います。
さらに、この映画が出来るタイミングがどれほどハカライに依っているのか?それも感じ取れるでしょう。
もしそれがわからないのなら、あなたはまだまだ多くの仕事が残っている、マスターしていかなければいけない仕事がある、ということを示唆しています。
面白いのは、この高畑さんと宮崎駿さんは、二人とも同じレベルにいる、ということです。
同じレベルからこのような作品たちを生み出しているのですね。
私には、このことの完璧性、完璧な絵がはっきりと見えます。
あなたは、それが見えますか?
もし見えないのなら、あなたはこの視野に到らなければなりません。
そうでなくとも構いませんが。
(おわり)
【レベル】:ゴールドクラス
- 投稿タグ
- かぐや姫の物語