あまりにその手の話を聞くので、ここでちょっと取り上げます。
アドヴァイタが注目される原因は、もちろん私の責任です。
ただ、今起こっている現象は、アドヴァイタが単なるファッションに成り下がっているだけなのです。
時間と空間に限定された個人がこのような概念を手にした所で、-たとえ、それがどんな高尚な、聖なる概念だとしてもー、個人、つまり間違ったエゴのレベルでそれを曲解し、手垢にまみれたものにしてしまうのです。
流行に乗るのが好きで好きでたまらない人、自分で見出すより、他人が見出してくれたものに乗っかることのほうが気楽な人、つまり誰かに依存していたほうがいい人、スピリチュアルだろうが何だろうが、体を守るために、体のために、このことをマーケットとして捉え、ビジネスとして捉え、自分が成功できるチャンスだと考える人たちが騒いでいるだけなのです。
彼らが騒ごうが何をしようが、ニサルガダッタ・マハラジは、静かなままです。ラマナ・マハルシは静かなままです。
あー、彼らは既に死んでしまっていますね!
静かでいて、当然ですね。
このようなことは、今まで何度も見てきました。
目の曇りが落ち、私だと思っていたものが死んでしまったあと、人生の書が閉じられたあと、私自身に起こったこの素晴らしい理解を広めようとしました。
そして、当然それはそうなり、この社会で広まり始め、やがてそれはスピリチュアルという単語を生み出し、テレビ番組で取り上げられ、専用の専門家が現れ始めました。
もうその頃には、スピリチュアルの本質のかけらもないものになっていました。
なぜなら、テレビやマスメディアは末端の層であり、同じように末端の層である視聴者に強く働きかけるのです。
では、末端の層とは何でしょうか?
その層は、どこで機能しているのでしょうか?
当時、私はこの流れを見て、驚き続けていました。
つまり、間違ったエゴの中心がこれを持てば、なにをしでかすのかがあからさまに見えたのです。
先祖の霊、守護霊、パワースポット、占い、前世…。
このようなものばかりが持ち上げられるようになりました。
これらはこれらで、もちろん構いませんが、本質とはかけ離れている概念です。本質とは、つまりあなたが何者であるかを思い出させるものであり、これらの概念自体は、そういったものではありません。個人の人生の慰めにはなりますが、それ以上のものではありません。
霊性、スピリチュアルは結局、その社会の従来の価値観に彩りを添えて強化しただけに過ぎなかったのです。
その価値観では手に負えない次元の話しやプレアデスやその他もろもろについては、トンデモという分類にはめこんでしまいました。
つまり、その社会が理解できないもの、受け入れられないものは殺してしまうか、無しにしてしまうという全く何も変わっていない在り方だったわけです。
その見事なまでの転落ぶりに、私は唖然としました。
その一連の流れを見て
「こんなことになってしまうのか。間違ったエゴのやり口はこれほどまでに強力なものなのか。こんなもの、私が望んでいた状況ではなかった」
当時、私は世界を見て、そう感じ、理解したのです。
当然、私は当時間違っていましたが、それでもその絵は、その理解は強烈極まるものでした。その時、私は自分が一体何ものなのかの一端を垣間見たのです。
そして、今、当時と何も変わらない状況になっているだけなのです。
もちろん、もう私は知っています。知っている事を知っています。
世界は、これからも私を追いかけてくるでしょう。
それは、そのようなものだからです。
それは、カオナシやゴラムのようなものだからです。
ですので、アドヴァイタが世界を救う事はありません。
あなたも救われる事はありえません。
そうであれば、何千年か前にすっかり救えたはずだからです。
さらに今後、アドヴァイタ、非二元という概念が末端の層に届けば、また曲解の権化のような形で取り入れられるか、見て見ぬ振りになるかのどちらかでしょう。
問題は、展開されているそのような世界ではないのですね。
アドヴァイタだろうがなんだろうが、いつもこのことだけは、見事にスルーされます。
何年後、何万年後もスルーされるでしょう。
最も重要な事に気づくこと、それだけが重要なことです。
【レベル】:クリアクラス~ユニティクラス
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