さて、こういうわけで、制限速度が、時速40キロなら、2千万のフェラーリも、隣の軽自動車と同じ速度で走らなければいけません。どこでもいつでも、フェラーリだから、スピード出しちゃいなよ!ということであれば、少しは持つ意義はあるかもしれません。
けれども、危ないですね。

渋滞はどうでしょう?
車を運転していて、もっともストレスなのが、渋滞なのではないでしょうか?
フェラーリだって、渋滞につかまるのです。フェラーリだから、高級車は、渋滞に巻き込まれなくても大丈夫です。ということはないのです。

渋滞につかまって、喜び続けられる人はいません。
フェラーリに乗っていて、あの憧れのフェラーリに乗っていても、間違いなくイライラするでしょう?その時、あの時の憧れ、ワクワク感はどこにいったのでしょうか?

もし渋滞になっていても、なぜかするするとフェラーリなどの高級車だけは渋滞を抜けられる、いつどんな時でも、絶対に。というのなら、買う価値はあるかもしれません。

そして、いついかなる時も、買う前の、買った時のワクワク感が途切れることなく続いていくなら、確かに素晴らしい買物でしょう。

フェラーリを持っていて、自動車税の時、保険の時、故障したときなどはどうでしょうか?あのワクワク感を持っていられるのでしょうか?もし手放さなければいけない時がきたら、どうなのでしょうか?

フェラーリを持っていたからといって、これらの諸条件がなくなるわけではないのです。

フェラーリを持った後、それが盗まれないか、傷つけられないか?どうやって管理しようか?思案をめぐらせるのではないでしょうか?もうその段階で、喜びはありません。恐れに変わっているのです。

さんざんフェラーリについてみてみましたが、これがポルシェでも、カウンタックでも、メルセデスでもBMWでも変わらないのです。

私たちはここで、どんなに良いもの、高価なものを買ったとしても、その喜びはほんの一時でしかない。ほんのささいな瞬間でしかないことを見てきました。喜びは、ほんのささいな一瞬だけで、あとの全ては、驚くべきことに不安や恐れという苦しみなのです。

欲望は、私たちを幸せにせず、奴隷にするのです。奴隷にして、私たちの大切なものを奪った後、はき捨てるわけです。

なぜそんなものを求める必要があるのでしょうか?
何千万、何億の車を買おうが、道路を走る、という行為は一緒で、それは5万円の中古車となんら変わらないのです。

何のために、そんなものを買う必要があるのでしょうか?
誰かに見せびらかすため?
自分の力やステータスを誇示するため?

ええ、間違ったエゴがお得意としていることです。

それが本当に必要なのか?誰にとって?何のために?
これをあらゆるものに適用していけば、経済は破綻します。
だって、必要ないから。本当は。

必要ないのに、必要だと思い込ませなければなりません。
なぜって、そうしないと派手にならないから。

本来必要がないものを、必要だと思い込ませて、駆りたたせることで、経済をまわしているのであれば、当然、それは派手な終局を迎えることは、当然の帰結です。今、世界が直面している問題は、ここなのです。ついに、ここにやってきてしまっています。

必要がないものを買わせなければいけない。
必要がないものを、いかに洗脳して必要だと思わせるか?

世界は、これが進歩だと思っています。間違いなく、そう信じ込んでいます。
冷静になれば、笑えるほどばかげていますが、世界中の人は、日々、目を血走らせて必死にこの劇に参加しています。

真我は、神は、私たちがフェラーリに乗ろうが、サンバーに乗ろうが気にしません。
サンバーに乗っていたからといって、精霊は機嫌を悪くしたりしません。そうではないですか?気にするのは、一体誰ですか?

今回は、フェラーリという車を通して、欲望というものがもたらす結果について、その価値について検証してみました。私たちは、一つのものに還ろうとしています。
そして、その道中、この欲望は常に私たちに挑戦してくるものの一つです。

欲望についていく必要があるのでしょうか?それは、その価値があるのでしょうか?
その性質、その戦略が分かった上で、私たちはそれを大事にする必要があるのでしょうか?

これは、各々が自分の人生を床に広げて、一つ一つ調査してみる必要があります。
本当に、それはそうなのか?欲望の帰結は、結末は一体、私にとってなんだったのか?
各々が言われたことではなく、自らが知らなければいけません。
そうでないと、それは新しい催眠になるだけだからです。

最後におさらいですが、問題はフェラーリそのものではありません。
欲望です。赤ちゃんに、フェラーリをあげても喜びません。
赤ちゃんは、フェラーリだろうと何だろうと、気にしないからです。

間違ったエゴが決めた価値に無関心になる。私たちが達成しなければいけない境地は、ここになります。私たちは、ここに到達しなければいけません。

(おわり)

【レベル】:クリアクラス~ユニティクラス