前回は、「私もまた、神である」ということに触れました。

私だけが、神である。のではなく、私もまた、神である。です。
前者の生き方は、分離を促進させ、後者は全体への理解によって、分離の幻想に終止符を打っていく生き方でした。

今回は、別の側面から、あなたが分離した一個人でないと、どうして言えるのか?
私が全体である、ということは、どういうことなのか?
それについて、触れていきたいと思います。

・あなたの不思議さ

まず、一番最初に触れなければいけないのは、あなたの不思議さについてです。

人は必ず自分自身の不思議さについて、探求しないといけないのです。

私たちは、ごくごく当たり前のように自分であり、私であって、日常、自分自身の不思議さに当惑することは、あまりないのではないでしょうか?

自分というもの、私というものが、どれほど不可思議な存在なのか?
それを言われれば、私たちは大抵、「そうだ、私はそれを知っているよ。気づいてもいるよ」

というかもしれません。大抵、間違ったエゴはこのように反応します。

しかしながら、私が疑問なのは、であるのなら、なぜその不思議さを解明できないのでしょうか?

・誰も話題にしない。…のではなくて

こんなにも不思議な存在であるのに、休憩時間に話題になることはありません。
飲み会でも話題になることはありません。

人体についての不思議さはテレビで扱うのに、私についての不思議さについて、徹底的に究明している番組を見たことがありません。

言ってみれば、私は、自分自身以上に、このことについて本当に不思議でなりませんでした。

なぜ、このような個人があるのか?
それは、いったい誰なのか?
この私という感覚の不思議さは、何なのか?

これらについて、なぜ誰もかれもが無関心でいられるのか?
さっぱりわかりませんでした。

というより、私はずっとずっと、それはあまりにも当たり前のことで、既に解決済みなので、誰も取り上げないのだ。と思い込んでいました。

これらはすでに解決されており、世界はもっと偉大で崇高な目的のために前進しているのだと、本気で思っていたのです。
ですので、私は自分が落ちこぼれだとずっとずっと、思い込んでいました。

科学や算数、数学を理解する前に、これらを解決しないといけない。
そうしないと、みんなに追いつけないから。
私は、小さいころからずっとそう思ってきたのです。

けれども、そうではありませんでした。

誰もかれもが、扱わないのではなく、扱えないのです。
気づけないからなのです。

これは、本当に驚くべきことです!!

(つづく…)