さて。

先日の

大いなる仕事、大いなる成果 ~ある方の具体例から~

の内容に、今回はもう少し重要ポイントを付け加えておきます。

ここで私たちが知りたいことは、

このような大いなる成果をあげるために、
・では、私は何をしたらいいのか?
・どうすれば、そのようになれるのか?

ということではないでしょうか?

具体的に何をすればいいのか?

それが一番知りたいことではないでしょうか?

ええ、そうです。
そうではないでしょうか?

けれども、この質問に対する答えは、

「具体的な道はありませんが、道はあります」

ということになります。

このことに対して、これこれのことだけやればいい、なんて都合の良いことはありません。

また、その道筋を示したとしても、皆さんは決してそれをやり切りません。示した途端、「あぁ、なるほど」となり、数か月後には全く違うことにフォーカスしていることになります。

このことは、痛いほど事実ではないでしょうか?
それほど、間違ったエゴは落ち着きがないのです。
というより、これが間違ったエゴの戦略です。

また、このことに何にも感じなかったり、自分は出来ていると思っているのなら、それはあなたの眠り、自分だと思っている自分の眠りが相当深い、ということを示しています。

さて。
こうなると、私たちは全く手がかりがつかめず、私には無理なんじゃないかと思うかもしれません。

しかし、そうではありません。
その為に今回そこに至った方をご紹介したのです。

私は、今回ご紹介した方に、このような質問をしてみました。

「もしあなたの所に、誰かが来て、『どうすればそのようなレベルに行けるんですか?』と尋ねられたら、どう答えますか?」と

その方の答えは、案の定、「わからない」というものでした。

つまり、「こうすれば、こうなる」というようなはっきりとしたメソッドが確立されてはいないのです。(されていてほしいのですが)

この方は、気づいたら自尊心がなくなってほしい、個人という重荷に初めて気づき、その不要さを痛感している 状態になっていたのです。

ですので、皆さんもこのようなプロセスを辿ることになります。

まさしく、いつの間にかそうなっていた、という。

そうです。お気づきになりましたか?
だから、行為者がいない、と言われるのです。
これが、その所以です。

こういう経験を一度ではなく、さらに高い段階で何度も経験すればするほど、

「私は何もしていない」
「私は何もする必要がなかったんだ」

ということが、強烈にわかってきます。

その時、頭で理解していません。
概念のかけらもありません

だから、頭で
「私は行為者ではない」
「個人はいない」

といっても、それを追いかけてもだめなのです。

これが、”事実知っている状態” と言われるものであり、直接理解なのです。

こうしてみれば、

「行為をしていない私が解決策を見つけられるわけがない」

ということがわかってきます。
あるいは、

「そもそも行為をしていないのに、なぜ私は『何を”すればいい”』という質問が出てくるのだろう?」

ということがわかってきます。

それゆえに、どんなにその個人に「~をせよ」といっても無駄であることが導き出せるわけです。
それゆえに、この方は、私の質問に「わからない」というしかなかったのです。

おわかりになりましたでしょうか?

けれども、それでもまだ個人は、「じゃあ、どうしようもないじゃないか」と言います。
個人は、必ずこれをいいます。

ええ、でも安心してください。
何度もいいますが、今回ご紹介した方を思い出してください。

具体的な唯一の道はありませんが、道はあります。
指標はあります。

次回からは、その指標について触れていこうかと思っています。