宮崎駿さんとドワンゴの一件から見えてくること -4
たぶん、この日本という国で生まれ育った人なら誰でも宮崎さんのアニメを見た事があるのではないでしょうか?
それほどの影響力があるにもかかわらず、たぶん誰も気にとめていないことが、私にはあるように思います。
それは、一言で言えば、彼はとてつもなく質素だ、ということです。
これほどの作品をいくつも作り上げているのであれば、この世界の筋道から言えば、”豪勢な暮らし” をしていても何もおかしくはないはずです。
青山や白金台や代官山、田園調布や成城といった高級住宅街に豪邸を構えて高級車をいくつも持って優雅な暮らしをしていても何もおかしくはありません。
それらでさえ、彼の実績からしてみれば全く足りないものです。
ハリウッドのスーパースターと言われる人たちは、一体どんな生活をしているのでしょうか?それを考えれば、彼が彼ら以上の生活をしていたって、何もおかしくはありません。
けれども、彼はこのようなものとは全く無関係に暮らしているように見えます。
彼のドキュメンタリーを見ると、制作中には働いているスタッフに料理をふるまっていました。インスタントラーメンを。
大きな鍋の中にインスタントラーメンをたくさんぶち込んで目分量で水をいれて、「これでどうだ!」と。
叙々苑の焼き肉弁当を配るのではなく、あくまで彼が心を込めて手作りをして、彼らにふるまっているのです。インスタントラーメンを。(叙々苑の焼き肉は、確かにおいしいので、それはそれで嬉しいですが)
これは何も彼が貧乏でケチでお金がないからそうやっているのではありません。
それにこれほどの圧倒的な人物がなぜ貧乏でなければならないのでしょうか?
彼にはお金がありますが、しかしそれでも彼はインスタントラーメンを自分でつくって、スタッフにふるまっているのです。普通に。
彼を見ていると、何一つ見せびらかさず、イメージのために生きていないことがわかります。
今回のこのプレゼンの件でも、ドワンゴの人たちはいわゆるビジネスマン然としています。いわゆる流行的なビジネス口調で見栄えをよくし、センスを出しながら、彼の前で説明していました。
もちろん、このようなプレゼンでは当たり前のように、彼だってスーツやら何やらを着るのが常識です。見栄えが重要ですし、それが相手への礼儀となる、というのがこの社会の ”決まり” ですから。
けれども、彼はそんなことに頓着せず、そこらへんのおじさん的な格好でたばこをくゆらせながら、たたずんでいるのです。そして、それが無礼だと誰も指摘しません。
驚くべきは、誰もこのことに疑問をもたないのです。
なぜ彼は豪勢な暮らしができるのに、していないのか?
もし彼がそのような暮らしができないのなら、なぜできないのか?
なぜなら、彼の足下にも及ばない人たちがセレブな生活をしているのに、こんなにもすごすぎる映画を世に出している人がなぜお金がない、なんてことになるのか?そうであるのなら、私たちの社会は決定的に間違っているのではないか?
というような議論が全く出てこないのです。
ではなぜこのようことが疑問に思われないのか、といえばそれは困るからです。
だから、決して見ませんし、見たとしても見て見ぬ振りをします。
あるいは、それは ”一つの生き方” であって問題ない、という枠におさめます。(けれども、普通のサラリーマンがこんな格好で出社したら、帰っていい、と言われるわけで、一つの生き方は、実は幻想だ、ということになるのですが)
そう。困るのです。イメージが捨てられるのは。
彼の作品は彼の生き方、意識レベルがベースになっているはずです。
で、彼の作品が素晴らしいということになれば、彼の生き方、意識レベルが模範になる、ということになります。
そうすると、私たちは彼のように質素に暮らすようになる、という想定が出てきてしまいます。
それでは困るのです。
だから、本当は内容なんて実はどうでもいいのです。
彼が訴えたい事なんて、実はどうでもいいのです。
この世界が欲しいのは、間違ったエゴが欲しいのは、イメージだけです。
今はそれが数字というものになっているだけです。
それさえ彼が与えてくれれば、この世界は満足なのです。
一方、彼が教えてくれているのは、彼は自分のイメージが相手にどう評価されているか?そんなことをまったく気にしていない強さがそこにあり、それはつまり、イメージに力を明け渡さなければ、実際にどのような存在になり得るのか?ということです。
ですので、ここでの私たちが理解すべきポイントは、この世界においてこのように眠りながら歩いている人々を叩き起こすことではありませんし、彼らを裁くことでもありません。
そうではなく、自分自身が日々、いかにイメージに力を明け渡しているか?
それをはっきりと認識しなければならない、ということです。
なぜなら、イメージに力を明け渡す、ということは、夢を実在として認識していく、というとほうもなく愚かな選択を意味するからです。更に、それはとてつもなく中毒化しやすいのです。
そうではなく、私たちに求められていることは、そんな自分自身は、本当の姿ではない、という態度をとっていくことです。そういう小さな積み重ねは、確かに自分自身には貯蓄として知覚されませんが、それでもそれは蓄積されていき、いつしか本当に花開くことにつながっていくのです。
(つづく…)
【レベル】:ゴールドクラス~クリアクラス
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