さて。

今回は、私たちが進んでいく上で、まず最初に知っておきたい事柄の一つについて触れていこうと思います。

このことについては、当初、それがどれほど重要なのか、ということが全くわかっていませんでした。

けれども、経験していけばいくほど、その重要性について再認識を重ねていくことになりました。

このテーマについて、皆さんが知っておくことによるメリットは、このことを受け入れる事で、間違ったエゴ特有の自惚れや自尊心、傲慢さからほんの少しでも外れる事が出来る、という点です。これはどういうことかといえば、これを知る事で、それはそうではない、ということが先に来るようになります。

それはそうではない、ということは、もう少し言えば、それはそうではないかもしれない、というニュアンスになります。
そして、それはそうではないかもしれない、ということを詳しく言えば、それは、私が今はそう判断しているが、違うことになるだろう。たぶん、そうだと思う。という認識を持つ事が出来るようになる、ということです。

これは、一見、何の変哲もないことに思えるかもしれません。
がしかし、それはそうではありません。
なぜなら、こういう認識に到る、ということは、間違ったエゴから相当抜け出ていることを意味しているからです。
間違ったエゴは、常に自分を絶対視します。
その牙城は、絶対的な力を誇っており、難攻不落として知られています。

けれども、この難攻不落の城の中枢部に良い意味でのウイルスが忍び込むのです。それが、このような認識です。

このウイルスは、増殖していき、やがてこの城を崩壊させることになるのです。

ですから、この認識、理解は、非常に重要だということが、わかります。

さて。
では、それは、一体どのような理解でしょうか?

それは、いわば、背の高さに応じて見える景色が異なる、ということです。

この概念については、すでにテキストで触れています。
けれども、あまりに重要なため、何度も触れていく必要があります。
いわゆる、しつこいぐらいが丁度いいのです。

☆何も実現しない原因 -3

ここで書いたように、それは具体的に言えば、このように言うことができるのです。

「身長が100センチの人は、100センチの景色しか見えない。けれど、身長が200センチの人は、200センチの景色を見る事が出来る。つまり、100センチの人は、200センチから見える景色を見る事は決して出来ない。」

ざっくりと言えば、このようなことです。

これは、本当にすごく重要な理解です。

これを別の言い方で表現していたのが、ラメッシ・バルセカールだったと思います。

彼は、このことをこんな風に表現しています。

「だからクリシュナは、そのレベルに降りていって、その人のレベルに応じた理解を授けているだけなのです」

というように。
つまり、出会う人それぞれのレベル(比喩的な意味での身長)に応じて話さないと、その人たちが見ている景色の中で話すことによって、理解を促進する事が出来る、ということを、彼は指摘していたように思います。

このこともすでにテキストで触れてきましたが、私自身の経験から、よくわかるのです。
本当に、その通りだな、と。

ですので、このテーマにおいて、私たちが少なくと理解しておかなくてはいけないポイントを、再度ここからあげていこうと思います。

(つづく…)


【レベル】:ゴールドクラス~ユニティクラス