このことは、先日のGMの後半で取り上げた話題です。

大事なことはあるのですが、その大事なことが問題だ、ということなのです。

大事なことがある限り、人は、間違ったエゴは、個人はそこにつかまったままなのです。

大事なことを全て捨て去らない限り、ほんとうの自由はないのです。

またもや、これは耳の痛い話です。
エゴはこういうことを聞くと、一目散に去っていきます。

悟りや解脱、至高、真我、神、実在…。
このようなものは、もちろん大事なことです。

しかし、大事だと思っているからこそ、そこにつかまったままにならなければいけないのです。

あなたにとって、大事なこと、大事なものとは何でしょうか?

大事、というのは、「きな」と書きます。
大きな事、というとき、それはすでに自分自身より大きくなってしまっている、ということです。

自分自身より大きくなっている事ですので、それは完全に現れ、そこに途方もない興味と関心をひきつけられてしまっている状態なのです。

その途方もない興味と関心に引きづりこまれ、いつの間にかその大きな事という監獄にはいってしまっているのです。

大事、ということはつまり、こういう風に働くのです。

自分自身より、大きな事がある限り、私たちはそれに完全に私たち本来の性質、力といったものを明け渡してしてまっているのです。

それは、まちがいなく、世界があなたを捕まえて食べてしまった、ということを意味しているのです。食べられて、あなたはバラバラになってしまったのです。

本来、私以上に大きな事、大事なことなんて、ないのです。

私以上に大事なことが出てきてしまったあなたの災難を見てみてください。

あなたは、日常一体、何を大事だと思っているのでしょうか?

そして、もっとも困難なことは、あなたが嫌っていることなのです。

あなたが嫌悪し、目を向けたくもないような代物、実は全然許せない代物こそ、あなたが大事にしてしまっているものなのです。

このように嫌いな事こそ、あなたにとって大事なことなのです。

なぜなら、嫌いな状況や、嫌いな人、生理的に受け入れられない人、生理的に受け入れられない国、どんなものでもいいですが、それはあなたが完全にそのことに注意と関心をひきつけられている証拠だからです。

だからこそ、それらはあなたにとって、おおごと(大事)になってしまっているのです。
それらは、あなたという存在より大きな事になってしまいました。

だから、あなたはそこから出られませんし、あなたより大きくなったモンスターですから、あなたは勝ち目を感じません。

つまり、だからこういうことなのです。

わかりますね?

このような大事なことが、いつまでもあなたに付きまとってくるのは、それはあなたが大事にしているからなのです。

よって、それらが完全に完了されれば、大事にされなくなるのです。
それらは、あなたより小さくしょぼんでしまいます。
そして、あまりにも小さくなって、あなたはそれにさらに興味と関心を失うのです。

これが、大事にされなくなることの本当の仕組みです。

つまり、あなたが何に対しても完全に興味と関心を失えば、この幻想の世界は消え去ってしまう、ということなのです。

これが、先日のGMの後半の部で話した内容でした。

おさらいの意味で、再度取り上げましたので、参加された皆様は今一度、確認してみてください。

【レベル】:クリアクラス~ユニティクラス