たとえば、ジュピターという映画について、観ていきましょう。
結論から言えば、観た限りでは、この映画には力がありませんでした。
分かる限り、一定ラインを超えた映画ではありません。
一定ラインを超えている映画は、今まで話してきた通り、
ロード・オブ・ザ・リングやビューティフル・ドリーマー、千と千尋の神隠しや
クリスマス・キャロル、風の谷のナウシカなどなど。
もちろん、これだけではありませんが、このような映画は一定ラインを超えています。
つまり、本当の力を持っている映画です。
本当の力とは、私たちに気づきを与えてくれる、目覚めを与えてくれるものです。
このジュピターという映画のストーリーは、下記のリンクを見ていただければ、
なんとなくわかるでしょう。
ジュピター
地球で生活しているごくごく平凡な女性が、実は宇宙の王位継承者であり、彼女が知らない間に王族内でのごたごたに巻き込まれ続ける、というようなもののようです。
この映画は、確かに普通の商業映画よりは進歩的な内容を取り扱おうとしていることはうかがえます。
私たち人類は進化していると思っているだけで、実は宇宙を支配しているものたちに食べられるためだけに存在している、といったショッキングな内容などを盛り込んでいます。
つまり、なんと言うか、これらは私たちが常識と思っている事が、全然常識ではないということを指摘しているように感じます。
「誰も真実なんて、知りたいとは思っちゃいないさ」
と映画の中でさりげなく出てくるこのようなセリフにも、作っている人が何を伝えようとしているのか?
どのような目的のもとにこの映画を作っているのかを感じ取れます。
しかしながら、それでも力は感じません。
何でもそうですが、たとえば映画をよく観察していると、作り手の意図がそこにあることが感じられます。
何を基準に、何をベースに映画を作っているのか。
それが如実に感じられます。
売上げが全て。利益が全て。
売れればそれでいい。どの層をターゲットにするか。
その層は、何を好んでいるか。
そこをしっかりつかんでそこに訴求する内容にする。
マーケティングをもとにした内容をしっかり作りこみ、売上げ予測を立てる。
それを前提とした映画を作る。
こういうものは、一見したところ、いわゆる組織の中で仕事をしていれば、普通な考え方かもしれませんが、しかし、汚れています。
だから、このような映画は全く力を持っていません。
作り手が気にしているのは、利益だからです。
その利益は、単なる売上げの事で、どれだけ人が見たか、どれだけの人がお金を
払って、どれだけの収益になったか?
そこにフォーカスしている限り、何を作っても、何の力も持っていないどころか、
大切な力を決定的なまでに失うことにつながっていきます。
自分に返ってくる利益だけが気になり、それを得るために、他人の目、他人からの評価だけを考えるあまり、代わりに最も大切なものを失うのです。
もしかすると、短期的な利益は得る事が出来るかもしれませんが、まさしく長期的には、損失のほうがはるかに大きいのです。
しかしながら、エゴですので、それが見えません。それには気づきません。
ジュピターというこの映画は、必ずしもこれら全てにあてはまるわけではありません。
精一杯作っているのが、うかがえます。
ただ、やはり大事な力は、ここに宿っていません。
なぜでしょうか?
(つづく…)
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