☆見本としてのバーナデッド・ロバーツ

このいい例がバーナデッド・ロバーツです。

彼女は、人生の全てを観想に捧げている、といってもいいくらいの方ですが、彼女が問題にしたのは、観想中に起こるあれやこれやのことではなく、沈黙の性質とそして、彼女に ”観想が終わったことを気づかせ進ませたあの歩いて出た” 話です。

私自身、彼女の話しの中で最も関心を抱いたことの一つが、これでした。
彼女の話を読んでいて、最初に最も繋がりを感じた事がこれでした。

なぜなら、これこそ本来の状態に近かったからです。
なぜなら、このとき、個人がいない からなのです。
これが、私たち本来の状態であるがゆえに、そこで繋がるのです。

だから、彼女は、このことを記したのですね。

そういう理由が、そこにあったのです。

一方、私が出会ったきた人のなかでは、「ワンネス、体験してさ」と、中には、自慢げにいう人さえいたのです。

つまり、「オレはワンネス体験できたすげー奴だけど、お前はどうだ?」

というあのおきまりの奴がそこにのさばっているのです。

たとえば、この場合、もう全くワンネスではないのです。
逆のバラバラ、分離が加速されているのです。

つまり、このように言ってしまうとき、もう自分自身、ワンネスからかけ離れているどころではなく、真逆の在り方をしてしまっている、ということに気づいていないのです。

だから、自分だと思っている自分に眠っているのであり、だから、やはり個人の領域を出ていない、ということの証明になるのです。

こういうことが見えた時、私がなぜ瞑想中に起こったあれやこれやについて、誰にも何も言いたいとも思わなかったのか、そのことに合点がいきました。

それは、分離を加速させるからです。
あくまで個人の領域の話であり、それは超える事を示唆しないからでした。

これは、本当に皮肉なことです。

ワンネスとは、全てであり、分離という病がない状態のことです。

だのに、ワンネスを体験して、分離を促進させる、という皮肉どころの話ではない状態にさせてしまうわけですから。

また、このワンネス体験をしてきた方々を見ていると、共通して軽くなっていない、ということもひっかかることでした。

何度も繰り返しますが、

軽いとは、英語でlight です。
明るいとは、英語でlight です。
光は、英語でlight です。
これらは、厳密に他の意味もあるとかいう、言語学的な意味はほっておいて、とにかく、ここでの着目点は、軽いと光、明るいは一緒だ、ということです。

彼らは、全く軽く(light)なっていませんでした。
つまり、光(light)を感じさせてはいなかったのです。
しかしながら、ワンネスという体験は、必ず光を伴うはずです。
ですので、それらを体験したのであれば、必ずそれ相応のポジションにいなければいけません。

ですが、それはそうではありませんでした。

逆に、非常に重苦しい状態になっている人がほとんどでした。

そのことに、彼らは全く気づいていませんでした。

ですので、本当は

「ワンネスを体験したのですが、軽くなっていません。それが問題で、それが偽りなのか?もっと知らなければいけない事があるのではないかと思うんです」

という発言が出てくることが、いわば本来の在り方なのです。

このように ”自然と” 言える人は、まったくもって実現する人です。
しかるべき飛躍を遂げる事は、間違いありません。

なぜなら、心を常に開くことが出来るからです。
そして、自惚れや傲慢さに何気なく気づいていて、その罠にかからないほどの沈着冷静さを身に纏っているからに他なりません。

以上のことから、ワンネス体験というのは(私が聞いてきた限り)、少々注意が必要である、ということです。

(つづく…)

【レベル】:ホワイトクラス