☆ワンネス体験の位置づけ

さて。
以上のことから、私たちはまず、ワンネスを体験した時、瞑想など特別なことをしていたのかどうか?
ということをチェックする必要があります。

もしそうなら、それをあまり重要視する必要がない、という切り分けをしたほうがいい、ということです。
なぜなら、そこでもっと重要な質問が出てくる必要があり、こちらを優先しなければいけないからです。

それは、「それは私が起こしたのだろうか?」という質問です。

その質問にYESと答えるのなら、それは間違っていますが、あっています。
その質問にNoと答えるのなら、それはあっていて、間違っていて、やはり結局はあっています。

しかしながら、この段階で求められる答えは、NOでなければなりません。

もし、ワンネス体験をして、この質問が自然と出てくるようであれば、間違いなくそれは有意義な体験であり、橋をかける体験となりえます。

一方、ただ「体験したんだよね。で、全てだったんだよね」というようであれば、それはまだまだまだまだまだ間違ったエゴのもので、延々と罠にはまっていくことが示唆されています。

その時のワンネス体験は、やはり精霊の訪問の類の一種だ、ということです。
このことは、すでにテキストで言及しました。

精霊の訪問の目的は、あなたがこの世界の現実性に疑問を持つことです。
誰もが信じていて、もしかしたらあなたも当然と思っていることが、実はインチキなのではないか?ということにうっすらと気づかせる事です。

ワンネス体験というのは、そのように精霊の訪問を受け、さらに進むための、もっといえば、その体験が体験ではなく日常になるための指標を与えた出来事、という事が出来ます。

それなのに、その体験で止まってしまっては意味がありません。
その体験をした後は、もうそれは置いておいて、更なる理想に向けて歩き出さなければいけません。

どうもワンネスを体験すると、「オレはもうあがり」のような態度をとっている人がちょいちょいいるのですが、私が見た限り、それはほんの旅の始まりに出ただけのレベルなのです。

その人に待ち構えている仕事は、山のように残っているのです。

こうしてみると、間違ったエゴがいかに罠にはめるのがうまいのか?
それはもう、おぞましいを通り越していますが、私たちはこのように、もっともっと進まなければいけないのです。

ワンネス体験とは、瞑想などをしている最中に起きるワンネス体験であればあるほど、往々にして精霊の訪問の一種であるといえます。
その目的は、私たちにある限界点を超えて進ませるためにあり、そこに向かって進まなければいけない、ということです。

ですので、その体験は、誰かに自慢するためにあるわけでもなく、疑問に思って、その疑問の中で答えを求めて、堂々巡りをするためにあるわけでもありません。

本当にその体験の価値を知りたいと、最も深い所で純粋に決断したのなら、必ず答えはやってきます。そうなっているからです。それは、必ずやってきます。
しかるべきタイミングでやってきます。十年、二十年、もっとかかるかもしれません。けれども、やってきます。

ですので、その体験の価値を求めて悶々としている人がいたら、このことをぜひとも覚えて安心していただきたいと思います。

そしてまた、私たちが理解しなければいけないことは、そのような体験そのものに価値があるわけではなく、それをきっかけにして、何に気づいたのか?そして、どう生き方が変わったのか?何が見えるようになったのか?

ということなのです。
このことを多くの人が見過ごしているようなのですが、ここが最も重要な点です。

こういう生き方、行き方が板についてくると、自然に繋がりを回復し始めることになります。

以上、今回は、ワンネス体験とその位置づけについて詳しく触れてみました。

(おわり)

【レベル】:ホワイトクラス