私たちは、大切なものに気付かないまま生きています。
中心がないままに生きています。

なぜ気付けないのでしょうか?
それは、私達一人一人が、独立した存在だという毒に犯されているからです。
いえ、これは毒ではなく、祝福だという人がいるかもしれません。

☆「自分が独立した存在である」という揺ぎない信念がもたらす結果

しかしながら、私が毒という場合は、こういうことです。
毒であるのは、自分には意思があって、意思と選択によって、
行為をしている独立した存在である、という信念が根付いている事です。

この信念によって、私達はお互いがバラバラだとみなします。
このバラバラという分離の信念は、日常生活に不安を招き入れます。
日常生活の土台は、不安になります。

何を考え、何をするにも不安が支えとなり、
いよいよ不安であることが当然の生き方を形成します。
もうこうなると、自分が何を求めているのかさっぱりわからなくなります。
求めている事すら、気付かなくなります。(ここはポイントです!!!)

ただいつも焦り、不安で、よそよそしくなり、主張し、叫び、奪い、
先を急ぎ、囲い、線を引き、冷淡になっていきます。

私がこの世界を観察してわかった事は、このようなことでした。


☆全ての問題の根

そして、この状態の根本的な原因は、
自分は、自分の意思と自分の選択により行為をしている独立した存在である、
(つまりエゴ、個人的行為者)
という信念が深く根付いてしまっているからなのです。

これこそが、私が理解したあらゆる問題の根だということです。


☆誰も気付かない

さらに驚くべき事は、こんな単純な事実に誰も気がつきません。

最初、私は誰もが充分気付いているんだと思ってました。
充分気付いているんだけど、もっと大事な事を取り扱おうとしているんだと
思ってました。

しかし、観察してみると…
どうやら誰も気付いていない事がわかりました。
もう少し正確に言うなら、気付きたくない事がわかりました。

私には、これは非常に受け入れがたいことでした。
何度も言いますが、世の中に入っていけば、優秀な人は沢山いるからです。
知識を持っている人や頭が切れる人、表現力がある人は腐るほどいます。

けれども、突き詰めた結果、このことに気付けることと優秀である事は、
全く関係のないことでした。
それらは、なんというか、正比例しなかったのです。
むしろ、反比例するかのようでした。

周囲から評価されればされるほど、より自分を大事にし、
イメージである自分をより大きく、より大きくしていくことになるのです。

けれども、そのような人たちは知らないのです。

大きくすればするほど、針先でつつくだけで、その風船が弾けてしまうことを。
そして、大きければ大きいほど、爆発はより大きくなる事、つまり、
傷つく度合いも増すだけなのです。そして、中には何もありませんでした。
そこは、空っぽだったのです!
なんという悲惨なジョークでしょうか!?


☆分離がもたらす残酷な連鎖

私達は皆、平安を求めています。
なぜなら、不安だから。
なぜ不安かといえば、バラバラだと思っているから。
なぜバラバラかと思っているかといえば、自分が独立した存在だと
思っているから。

この信念が、今の世界を創り出しているわけです。

そしてもっと大切な事は…

☆誰もが、いつかは対峙しなければいけないこと

そう、もっと大切事は、
どうやって、そのエゴ、個人的行為者という感覚に終止符を打つことができるのでしょうか?
それこそが、私達全員が人生で最も真剣に対峙しなければいけない問いです。

私が言える事は、そこにしか、本当の解放や自由はありません。

【レベル】:ユニティクラス
※クラスの詳細については、こちらこちらを参照下さい。


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