今回は、現在、世界で一体、何が起こっているのか?
その端的な例として、テレビについてみていこうと思います。

私自身、あまりテレビを見ないのでわからないのですが、少なくとも私がまだ小さかった頃と較べれば、生活の中でのテレビの立ち位置というのは、全く変わってしまいました。

言ってみれば、私が小さかったころはテレビは生活の中において、ほとんど主役的な位置を占めていたように思います。話題のほとんど全ては、テレビから供給されていました。

今、何が流行っているのかの話題や学校で話題になる事など、ほとんど全てテレビからもたらされていました。たとえば、給食の時間にはテレビをつけて、笑っていいとも、という番組をクラスで見ていました。そして、休み時間には、あっちこっちで「ともだちの輪!」と叫びながら廊下を走っている生徒がいたり。そんな状況でした。

バラエティ番組、歌番組、アニメ、映画、スポーツなどなど、あらゆる娯楽がこの中に入っていて、私たちはテレビによって幸せを感じていたように思います。

ですので、当時、「これから、テレビがあまり見られなくる時代になるよ」と誰かに言われても、絶対に信じなかったことでしょう。そんなことを聞けば、間違いなくその人は気が狂っているとしか思われなかったはずなのです。それぐらい、テレビは、絶対の存在でした。

しかし、今はどうでしょう。
この寒々しい光景は、一体どうしたことでしょうか?

どうやらテレビの視聴率は、下がり続けているようです。
あれほどの影響力を持っていたドラマ番組が、今ではもはやほとんど見られていないようです。

たとえば、彼女はかつて、大のテレビ好きでした。
火曜サスペンスやら月9やら、あれこれのバラエティが大好きでした。

しかし、私が知る限り、彼女がテレビをつけてみていたのは、二年以上前ぐらいのことだったように思います。いや、もっと前かもしれません。

今では、「テレビ?なんですか、それ。おいしいんですか?」状態になってしまっています。

おそらく世間では、これほどまでではないでしょうが、なぜこれほどまでにテレビが見られなくなっているのか?テレビ離れがどんどん進んでいるのか?そのことについて、いろいろと調査され、議論されているようです。

ですので、ここで、本当は一体何が起こっているのか?
その原因、または動力学のようなものをみていこうと思います。

テレビがかつてあった地位を失った原因は、インターネットの出現であることは間違いありません。

インターネットが普及し尽くしたことで、テレビが持っていた必要性がとってかわられました。

興味深いのは、覚えている限り、ずいぶん昔にITの会社の社長である方が「これからは、ネットの時代だ。テレビは遅れている」みたいな発言をしていたように思います。で、ある民放の放送局を買収しようとしました。

で、この社会の ”出る杭は打たれるルール” によって、彼は刑務所に送られてしまいました。彼が実際に罪を犯したのか?そんなことは、どうだっていいことです。私たちがきちんと見破らなければいけないことは、その裏、バックボーンの意識の動きです。

このような見せしめは、過去何度となく行われてきました。
そして、それが何をもたらすのか?については、この集合的なエゴは、全くわかっていない、ということです。

なぜなら、エゴはそんなこと気にしないからです。
エゴは、本当の意味での反省は出来ません。
繰り返し、繰り返し。これが、エゴの性質です。

そして、時が経ち、彼が言った通り、今ではテレビよりネットの時代になっています。
間違ったエゴですから当たり前ですが、彼の発言通りになっているにも関わらず、誰もこのことについて、取り上げません。取り上げられないのです。なぜなら、何も気づいていないから。これが、間違ったエゴの真骨頂です。

ネットがテレビより優れているとかどうとかが、問題なのではありません。
つまり、ここで繰り広げられていることは、新しいもの、新しい価値観、本当の変化に対して、いかに間違ったエゴが抵抗し、闘いを仕掛け、自らの位置を守ろうと必死になるのか、ということです。

繰り広げられている事があまりに大きいために、その外観性をとらえられないのでしょうが、このような事が起こってきたのです。そして、これは何もこのような大きな事だけではなくて、個人の人生などすべてにおいて当てはめられることです。

(つづく…)

【レベル】:ホワイトクラス以下~クリアクラス